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「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第8回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第8回)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第8回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第8回)

2016年8月11日付けLETTRE DE SERVICE PUBLIC(政府公報)に、9月新学期を控えて、様々な教育関連のことが発表されています。この時期には恒例のことです。いくつか拾ってみます。
                 *
ALLOCATION RENTREE SCOLAIRE(ARS/新学期手当)は、8月18日から支給を開始する、とあります。ARSは、年1回だけの支給です。9月新学年に向けて、各種の学習用具の購入に当てなさい、の手当です。通常は、6月の学年末に学校側が購入すべき学習用具のリストを配布しています。市中のスーパーは文具、学習用具の販売コーナーを拡大したり補充したりします。学校周辺LIBRAIRIE-PAPETERIE(本・文房具屋さん)も品揃えをして待ち構えています。
6-10歳(ほぼ日本の小学年齢)   363ユーロ
11―14歳(同中学年齢)       383.03ユーロ
15-18歳(同高校年齢)       396.29ユーロ      (1ユーロは130円前後)

大学の登録料は、年間で、
LICENCE(学士課程、3年制)                   184ユーロ
MASTER(修士課程、 MASTER1(1年制)/MASTER2(1年制))  256ユーロ
DOCTRAT(博士課程、平均3年)                 391ユーロ
DIPLOME D’INGENIEUR[技術系グランゼコール]         610ユーロ

COTISATION DE SECURITE SICIALE(REGIME D’ETUDIANT)
(学生社会保険料=健康保険料(18-28歳)         215ユーロ(年間)
(1ユーロは130円前後)

授業料はありません。登録料、社会(=健康)保険険料のほかには、図書館使用料とFSDIE(注1)と呼ばれる学習環境整備負担費があり、双方合わせて50ユーロ見当です。   、
(注1)FONDS DE SOLIDALITE  ET  DEVELOPPEMENT  DES  INITIATIVES ETUDIANTSの略称。

フランスでの「子育て」で痛感したことは、学業教育にお金がかからないことです。但し、公立校に
通わせている限りは、です。僕には二人の息子がいます。ECOLE MATERNELLE (幼稚園)、ECOLE
PRIMAIRE(小学校・5年制)、COLLEGE(中学校・4年制)、LYCEE(高校・3年制)の学業課程を
一貫して公立校に通わせてきました。この期間、授業料というものを払ったことがありません。中学校か
ら高校への入学試験もありません。但し、BULLETINS SCOLAIRES(成績表)による審査はあります。

次いで大学です。大学は全て国立、登録制で入学試験はありません。入学試験がないので大学格差があり
ません。大学は登録するものであって、入学試験を経て現役合格したり、浪人したりするものではありま
せん。
学業を継続するのであれば、毎年、登録し直します。教程・課程修了はあっても卒業はありません。
LICENCE(学士)修了、MASTER1(修士前期)修了、MASTER2(修士後期)修了といったことで
す。修了証はDIPLOME(ディプロム)と呼ばれます。
入試はありませんが、大学へ登録できる資格はあります。
BACCALAUREAT略称BAC(バカロレア、略称バック)にパスしてBACHELIER(BACのDIPLOME
取得者)であることです。
*
毎年6月に全一斉にBAC試験が行われます(但し、フランス語といくつかの選択科目は、前年度
SECONDE(高校2年次)に試験が実施されます)。
2016年6月に実施された2016年度BAC試験の結果は、教育省の数字によれば、
受験生総数 約71万5200人。大別すると3コース(注2)ありますが、その平均合格率は約8
9%です。
(注2)BAC GENERAL (普通科コース) BAC TECNOLOGIE(技術科コース) BAC  PROFESSIONNEL
(職業科コース)の3コースです。

BAC試験は、定員数を競うCONCOURS(コンクール)ではありません。この点では、日本での「大学入
試センター試験(旧共通一次)、あるいは「高等学校卒業程度認定試験(高認、旧大検)に近いでしょう。
定員数を競うCONCOURS(コンクール)があるのは、GRANDES ECOLES(グラン・ゼコール)で
す。この入学試験は熾烈といえます。これに合格して「入学」し、学業期間(通常3年制)を修了して「卒
業」します。
CONCOURS(コンクール)がない大学にあっても、LICENCE、MASTER、、、とDIPLOMEを進
めていくのは容易ではなさそうです。
「大学は国立で入試はない!大学格差がない!楽勝じゃないですか」はどうでしょうか。「学費もタダ同
然!ますます結構じゃないですか」の声もありそうですが、むしろ、タダほどコワイものはないと
心得たほうが無難とみます。僕は二人の息子持ちですが、「子育て」をすることは、自分の子どもはもとよ
り、その周辺にいる同年代の子どもたちも見ることにもなります。二人の息子は、学年令で11歳ちがう
ので、かなり長期間にわたって学業事情、進路事情を見てきました。現在も、LYCEEN(高校生)の外国
語(=日本語)学習を担当しています。二人の息子以降の空白がほとんどなく、現在に繋がっていると思
っています。そうした子育て体験、見聞から「日本とフランスでは大学事情がかなり違うぞ」があります
が、ここでは、これ以上は控えます。後章に回しましょう。     
                      *
政府公報にあるCOTISATION DE SECURITE SICIALE(REGIME D’ETUDIANT) (学生社会保険料=健
康保険料) 215ユーロ(年間)のことです。
1974年に長男が未熟児(PREMATURE)で生まれ(注3)、その費用の支払いに苦しんだこと、MAIRIE
(市役所)のAIDE SOCIALE-AIDE MEDEICALE(社会援助―医療費援助課)に助けられたことは
記しました。
(注3)第2回稿で「1750グラム」と記しましたが、その後、当時のメモが出て来て1250グラムであった
ことが、判明しました。退院時は1500グラム増えて、2750グラムでした。

産院会計からは、家内の出産費OOO,,,フラン、未熟児保管費用OOOO、、フラン、合計OOOOフラ
ンの請求があったのではなく、もっぱら「SECU番号も知らせよ」の通知でした。その通知状には、1
枚の説明書が同封されているのでした。こんな具合に。
あなたが、
①サラリエ(給与収入者)の場合は、SECU加入カード、ここ3か月のFICHE DE PAYE(給与明細書)
②自営業の場合は、SECU加入カード、四半期ごとに支払うSECU保険料の極近のもの。
③学生の場合は、SECU加入カード、COTISATION DE SECURITE SICIALE(REGIME D’ETUDIANT(学生SECU保険料))の支払い証明。
④農業関連者の場合は、、、、、、、、、。
このように、ケース別に提示すべきものが記されている説明書です。そして、「学生の場合」の項にチェックが入っていたり、マーカーが入っていたりするのでした。このことから、産院会計の担当者が僕たちを学生と見ていることが窺われたものです。
第1章で記しましたが、この時期、日本人(日本国籍)学生はSECUの学生保険機構(REGIME
D’ETUDIANT)には加入できませんでした。加入できるようになったのは1988年からです。産院会計も
そこまでは把握していなくて、学生一般として対応していたのでしょう。こちらも「ただ今、申請中です」
と理由にならない返事を送っていた、ということです。
1974年秋には、家内の滞在許可証、労働許可問題も片が付いて、従って、SECU加入も軌道に乗ってい
ます。出産費、未熟児保養費は、SECU加入以前に発生した発生した医療費です。当たり前のことです
が、保険は「転ばぬ先の杖」ですから、加入以前に生じた費用に遡って適用される道理がありません。
それでも、パリ市7区のMAIRIE(市役所)のAIDE SOCIALE-AIDE MEDEICALE(社会援助―医療費
援助課)から2回目の呼び出しがあって、その面接の際には、「今は職を得て、SECUに加入しています」
と答えることが出来ました。調書に何やら書き込んでいる担当職員の瞬時の表情の変化から「これはプラ
ス要因だな」と察したものです。調書には「あくまで一時的な変則事情で発生した医療事故。その後は正
常化している」と書き込んだことでしょう。僕の勝手な見立てですけど。
第一次査定が5000フランでした。5000フランはキツイです。もう少し減らせてもらえませんか
と陳情書を出してから、一向に第二次査定は届かず、音沙汰なしが約2年半続きました。
                      *
そんな時期のことです。美術批評家江原順先生(注3)から「シャバンさんに近々に会うのですが、一緒に
会いませんか」の誘いを受けました。
「シャバンさん」とは政治家ジャック・シャバン=デルマス(JACQUES  CHABAN―DELMAS)さん
です。(注4)
元国民議会議長、ポンピドウ(GEORGES POMPIDOU)大統領期の元首相。1974年5月の大統領選
挙では、UDR(UNION DES DEMOCRATES POUR LA REPUBLIQUE・通称ドゴール派)の領袖として
立候補しました。68年5月革命以降のドゴール派の退潮が底流にあり、72年の脱税トラブルもマイナ
ス評価になったのでしょう。

第1回投票は、
フランソワ・ミッテラン       43.25
ヴァレリー・ジカール=デスタン   32.60%
ジャック・シャバン=デルマス    15.11%
の結果でした。
「シャバンさんは、ボルドー市長でもあるから、ボルドー市の文化政策について聞こうと思ってね。大統
領選で負けたから、人が引いているでしょう。寂しいもんですよ。喜んでお会いしたいということだった。
元気付けてあげなくてはね」。
昨日まで報道陣のフラッシュを浴び、選挙運動員や支持者に囲まれていたのが、選挙戦の敗北で誰も寄り
付かなくなった。僕もマスコミのはしくれにいましたから「人が引いているでしょう。寂しいもんで
すよ」がわかるような気がしたものです。江原先生のカバン持ちで同行することにしました。

(注3) 江原順(えばら・じゅん Ⅰ927-2002年)
江原先生に登場いただくのはこれで2回目です。フランソワ・ミッテランさんが社会党書記長であった時期に、インタ
ヴューの仲介の労をとっていただきました。江原順先生とはSAINT  LAZARE(サン・ラザール)の日本焼肉レスト
ランで知り合いました。カウンター席で焼肉を突っついていると隣席から声がかかりました。「お仕事でパリにいられる
のですか?」「ええ、まあ」と曖昧に応じたところ「どんな’お仕事ですか」と踏み込んできました。やむなく「出版
社です。出版社系の週刊誌です。ヤクザなブン屋です」と応じました。大いに表情が動いて「江原順と申します」。。
「{見者の美学}{私のダダ}の江原順先生ですか。シュールレアリスム、ダダイズム評論の、、、」「そうです」。
学生時代、古本屋の書棚で{見者の美学}{私のダダ}をよく目にしたものです。手にとってページをペラペラめくっ
て斜め読みをした程度だったのですが、著名を憶えていことで、気にいっていただきました。
(注4)JACQUES CHABAN ―DELMAS(1915-2000年)。 首相(1969-1972)、国民議会議長
(1958-1969、1978-1981,1986-1988)は3期あります。ボルドー市長を1947年から
1995年まで50年近く勤めています。後任市長は2017年5月の大統領選を窺うALAIN JUPPE
(アラン・ジュぺ)さんです。

シャバンさんとはパリの個人事務所で会いました。大統領戦の惨敗(失礼!)で意気消沈しているどころ
か、意気軒高でした。「人が引いて寂しいでしょう」は、こちらの勝手な忖度、見当違いのようでした。
「こちらは、ジャーナリストのM.OKAMOTOです。私の協力者です」と江原先生が紹介してくれまし
た。許可を得てテープコーダーを回しました。
正直なところ、ボルドー市の文化行政について、さほどの関心がありません。シャバンさんとのこのイン
タヴューは江原先生の仕事で、僕はカバン持ちですから気楽なものでした。テープの番人であればよいの
でした。
シャバンさんの旺盛なボルドー文化行政論は30分は続いたでしょうか。一段落したところで、カバン持
ちが口をはさみました。「僕はパリで第一子を得たのですが、PREMATURE(プレマチュレ、未熟児)で
生まれてきました。産院に2か月近く預けられました。SECURITE SOCIALE(社会保険)に加入してい
なかったので、たいへんな額の借財になりました。これをパリ市のAIDE-SOCIALE/AIDE MEDICALE
(社会援助・医療費援助課)のお世話で減額していただいているところです。こういう救済援助があるこ
とに深く感謝しています」。
僕のフランス語力は知れたものですから、事前に用意したメモ用紙に目をやりながらのことでした。
シャバンさんは僕の拙いフランス語に額に皺をよせて耳を集中させていました。
聞き終わって額の皺をのばしながら「そんなことを気にする必要はありません。どこの都市にもその
種の援助制度はあります。私のボルドー市だってある。あなたも日本人ジャーナリストなら、そんな援助
制度のことより、私が首相時代に手がけたFORMATION PERMANENTE(生涯教育制度、職業再教育制
度)を貴国に宣伝していただきたい」と演説を始めました。FORMATION PERMANENTE(生涯教育制度、
職業再教育制度)は耳にしたことのない言葉でしたが、後でテープを起こせばよいだろうくらいに考えてウ
スボンヤリと聞きいていました。FORMATION PERMANENTE(生涯教育制度、職業再教育制度)がフラ
ンス滞在生活にどう影響してくるのか、それを実感したのは、はるか後年ことです。
                      *
江原先生は「ジャック・シャバン=デルマス・ボルドー市長の都市文化政策」といった趣きで、日本の
さる総合雑誌に投稿しましたが、「本誌の読者向きではない」で没稿でした。「シャバンさんに掲載誌を
送りますといった手前、体裁が悪くてね。なんとか活字になりませんか」で、原稿と録音テープを預
かる羽目になりました。
1977年春先のことです。AIDE-SOCIALE/AIDE MEDICALE(社会援助・医療費援助課)から第二次
査定が届きました。第一次査定5000フランが1500フランまで減額されていました。異論があれば
再申し立てができます、の案内も同封されていました。この時期、家内は職を得て定収入があります。
僕も細々ながら原稿料収入があります。なんとか払える額です。本市庁(HOTEL DE VILLE)の会計課に行
って支払いを済ませました。1974年3月22日に生まれた長男は3歳になっていました。3歳児は丸々
としてやや肥満気味、今では過塾児気味なのでした。

ほぼ同じ頃、欧日協会という在パリの日仏親睦団体からフランスの文化、生活紹介の雑誌編集の依頼があ
りました。PARIS-TOKYOをもじって「パリトキオ」としました。A4サイズ版、カラー印刷は、
表紙、ウラ表紙、グラビア、広告合わせて12ページ。活版42ージを合わせて合計50ページ見当の雑
誌でした。その第4号に江原順先生からお預かりしている「ジャック・シャバン=デルマス・ボルドー市
長の都市文化政策」を掲載しました。ウスボンヤリと聞き流していたインタヴュー・テープを大あわてで
一言一句、聞き直して全面的に改稿し、「インタビュー/ジャックシャバン=デルマス 私のボルドー、私
の都市文化論」としました。表紙と巻頭グラビアではカラーでボルドーのブドウ畑風景、葡萄摘み風景
を載せました。「ボルドーの秋、ワインの香り=分け行っても分け入っても葡萄畑の原産地をゆく=の見出
しタイトルが付いています。
「もう忘れているだろうけど、フランス語で簡単な説明を付けて、シャンバンさんの事務所に届けておき
ました」と江原先生から報告がありました。
残念ながら、PARIS-TOKYO「パリトキオ」は、この4号を持って終刊になります。4号雑誌です。
ブランド商品関心層、観光客向けとはいえない理屈の多い雑誌でした。広告主の大手ブランド・メー
カーが広告を降りてしまったのかも知れません。
                   *
それはさておき、「私のボルドー、私の都市文化論」の中で、FORMATION PERMANETE(生涯教育制度、
職業再教育制度)について、シャバンさんは、こんなことを語っています。
(1971年の首相時代に、フォルマシオン・ペルマナントをつくりました。この制度によって、あらゆ
るフランス人が、一般的知識、教養を高めると同時に、現に自分が所属しているヒエラルキーの中で2
度または3度にわたって、自分の立場をよくすることができるようになりました。あるいは、自分の属し
ているところで地位を向上させ、待遇を厚くさせるだけでなく、所属カテゴリーを変えられるようにもな
ったのです。1974年には、この制度の受益者が200万人、1975年には300万人です。これが
私の唱えている「ひとつの社会」から「もう一つの社会」に移行する「新らしい社会」ということなの
ですね。私が首相をやめても制度は残っていますから、15年もたてばフランスの社会はずい分変ってく
ると思うのです。」
FORMATION PERMANENTE(生涯教育制度、職業再教育制度)が具体的に僕の身に迫ってきたのは、
1980年代後半の時期だったでしょう。僕は日本人会事務局に勤務していました。
ある日、政府認定のFORMATION公庫から書類が飛び込みました。1901年法のASSOCIATION
も通常の会社と同じように、COTISATION A LA FORMATION  PROFESSIONNELLE(職業教育負担費)とTAXE D’APPRENTISSAGE(職業訓練税)を払いなさい、というものでした。支払い額は日本人会全職員の年間人件費総額の数パーセント相当です。シャバンさんが力説していたFORMATION PERMANENTEの財源がここにありました。
こういうこともあります。例えば日本人会が実施しているフランス語夏期集中講座です。日本のA社からフランスのB社に派遣されている日本人Cさんが「FORMATION PROFESSIONNELLEを利用して受講したいのですが、お宅はFORMATEURの資格がありますか?」の問合せです。日本人Cさんは、受講料を所属先の会社負担や自己出費ではなくFORMATION公庫に払ってもらおう、ということです。そのためには講座主催の日本人会がFORMATION管轄局からFORMATEURとしての資格を得ておかねばなりません。あわてて登録手続きをしたことでした。この二つのことで、シャバンさんが「ボクが首相時代につくったFORMATION PERMANENTE」の仕組みが見えたのでした。10年以上も前にシャバンさんの熱弁をウスボンヤリと聞いて「それは素晴らしい制度ですね」と一知半解の相づちを打ったのでしたが、それが明瞭にわかったのでした。長男は、FORMATION制度あるいは関連制度を利用して、スコットランドの大学に1年間留学しました。1997年のことでした。
2016年8月末日  記   岡本宏嗣
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