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「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第7回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第7回)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第7回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第7回)

前回(第6回)は「2016年の現在もJ.Oに目を通すことが毎日の日課です。」で終えました。J.Oは日刊紙JOURNAL OFFICIEL(政府公報)です。毎日の日課といっても、実際には「2日分、3日分まとめて目を通す」はあります。2日分、3日分はまだよい方で、旅行や日本への一時帰国があると、2週間分、3週間分が溜まってしまい、読み切れずにゴミ箱行きになることもしばしばです。面白くも可笑しくもない休刊日なし、7JOURS(DAYS) /7の日刊紙で、す。
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さて、ヴァカンスに入った2016年7月29日付けJ.O紙面のトップにこうあります。
1。 LOI n° 2016-1032 du 28 juillet 2016 autorisant la ratification de la convention de Minamata sur le mercure
「水銀に関する水俣条約を批准する2016年7月28日付け法

2。LOI n° 2016-1033 du 28 juillet 2016 autorisant l'approbation de l'accord entre le Gouvernement de la République française et le Gouvernement du Japon relatif au transfert d'équipements et de technologies de defense                  
「防衛装備品及び技術の移転に関するフランス共和国政府と日本国政府の間の協定を承認する2016年7月28日付け法」

1。は2013年10月10日、熊本で署名した同条約の批准。92か国が署名した国際条約とあります。       
2。は2015年3月13日、東京で署名した仏日協定の承認。
水俣条約の内容(5文書から成る)、「仏日防衛装備品・技術移転協定」文は追って掲載する、とされています。
ここでこの二つをウンヌンする知見、識見は持っていません。思い出したのは数年前に日本語を指導したA君(日仏家庭児)のことです。A君はBREST(ブルターニュ地方のブレスト市)にあるECOLE D‘INGENIEUR(エコール・ダンジェニユール(注1)を卒業してフランス国防省に技術職(INGENIEUR)のポストを得ました。そのA君が「最近、日本で法律が変って、それからXXXXXもあって、フランスの国防省から、かなりの人が日本へ行っています」というのです。A君の日本語を補足しますと、「法律が変って」は2015年7月に成立した安保関連法案でしょう。そして、聞き取れなかったXXXXX部分が、同法案成立に先立つ3月13日、ファビウス(当時)外相(LAURENT FABIUS)、 ル・ドリアン国防相(JEAN  YVES LE DORIAN)が東京で署名した日仏協定のことでしょう。

(注1)GRANDES ECOLES(グラン・ゼコール)と総称される学校群は、大別してECOLE D”INGENIEUR(エコール・ダンジェニユール=技術系)とECOLE DE COMMERCE(エコール・ド・コメルス=商業系)に大別されています。A君は在BRESTの     ECOLE  D‘INGENIEUR(エコール・ダンジェニユール=技術系)を卒業したのでした。GRANDES ECOLES(グラン・ゼコール)については、いずれ触れたいとと思っています。また、A君がBRESTの ECOLE  D’INGENIEUR(エコール・ダンジェニユール=技術系)にたどり着いた道筋にも興味深いものがあり、合わせて触れたいですね。
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さて、1974年夏に戻ります。家内の滞在許可証ではPREFECTURE DE POLICE(パリ警視庁)に1回、労働許可証ではDDTE-MOE(県・雇用・労働局―外国人労働管理課)に2回呼び出されています。この時の体験が、その後40年余、今でも担当している「滞在相談室」の出発点になったことは先章で触れました。さらに、この時の「ちょっとした体験」が、その後の外国人滞在管理情報や状況把握につながっていたりします。例えば、PREFECTURE DE POLICE(パリ警視庁)では、こんな「ちょっとした体験」があって、それが今でも尾を引いています。                                                     
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家内宛てに「滞在許可証を出すので出頭されたし」の通知(CONVOCATION)を受けて、当日当刻にPREFECTURE DE POLICE(パリ警視庁)に行きました。ヴァカンス期の7月中旬のことです。地上階の窓口は長蛇の列でした。  それを尻目にしながら階上の控室で待機することになりました。長蛇の列を尻目に、は後にも先にもこの時だけです。今でこそネットで予約が取れたり、窓口で整理券が出たりしていますが、当時はとにかく早朝から並ぶ、これしかありませんでした。今でもPREFECTURE(注2)によっては、「整理券を確実に手にするためには早朝5時から」並ぶ」があるといいます。そのため、並び屋さんという商売が出ているそうです。

(注2)PREFECTURE(プレフェクチュール)は、国の出先機関で各県にあります。僕が担当している「滞在相談」では「県庁」の訳語を使っています。フランス本土は95県、95県庁あることになります。外国人の滞在許可、労働許可は居住県の県庁が管轄です。また、95県庁のうち、PREFECTURE DE POLICE(プレフェクチュール・ド・ポリス)は、パリ、マルセイユ (2014年から)だけです。

それは、さておき、控室には僕たち家族―僕、家内、生後4か月の長男―以外に先客として二つのグループが占めていました。一つのグループはヴェトナム人の青年グループのようで。僕よりやや若い20代後半と見ました。 もう一つのグループは中年のおじさんたちでした。どこの国の人たちだろう、と眺めていると、その一人がフランス語で声をかけてきました。僕が赤ん坊を抱いているので関心をもったのでしょう。難民家族(REFUGIE)と思ったのかも知れません。
「僕たちはポーランドから来たのですが、あなた方はどこの国ですか」
「JAPONです。JAPONAISです」
JAPONに何のイメージも湧かなかったのでしょう、「JAPONね」とつぶやいて、そそくさと自席に戻っていきました。「ポーランドの方々がどうしてここにいるのですか」と訊ねたかったのですが、質問のタイミングが取れなくて会話は終わってしまいました。
ポーランドについて知っていることは極めて少なかったのですが、前衛的文化・芸術の国として関心は持っていました。それは、ひとえにポーランド映画の影響です。アンジェ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」「地下水道」、イエジー・カヴァレロヴィッチ監督の「夜行列車」「尼僧ヨアンナ」は、学生時代には必見の映画でした。同じポーランドでもロマン・ポランスキー監督の作品は「やや底が浅い」が学生界での通り相場でした。ポーランドにはこんな関心がありましたから、この場にポーランド人の中年おじさんたちがいることに違和感と興味をもったのでした。ほどなくして控室のドアが開いて呼び出しがかかり、おじさんたちはゾロゾロと出て行きました。その後、ヴェトナム人の青年グループもどこかに消えていき、控室は、僕たち家族だけになりました。「ちょっとした体験」はこれだけです。 
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10年後、1984年です。日本人会事務局に勤めて5年が経っていました。1984年には滞在許可、労働許可関連法が大きく改定されました。関連の政令(DECRET)、省令(ARRETE)、省通達(CIRCULAIRE)が続々と出てきました。それは新規の令だったり、旧来の令をを整備、整合させた改定令だったり、でした。それらの中の一つに、
Les catégories d‘étrangers auxquells la situation de l’enmploi n’est pas opposable lors d’une demande d’autorisation de travail という令がありました。労働許可申請の際に、「雇用・労働状況と関係なく」、労働許可を下ろすケースを列挙する、という令です。
「雇用・労働状況」は、一口にいえば求人・求職のバランスです。外国人の労働許可審査は、既出のDDTE-MOE(県・雇用・労働局―外国人労働管理課。現在のDIRECCTE-MOE)の管轄ですが、申請が却下となった場合、同課からの却下通知状は決まり文句になっています。
「貴社は、外国人労働者AをB職で雇用したいとの労働許可申請であります。あいにくながら、B職種での求職者数は1523件、求人数は325件に過ぎません。こうした「雇用・労働状況」にあっては、外国人労働者Aに労働許可をおろし難く、ここに申請を却下します」

この令は「雇用・労働状況と関係なく労働許可を下ろす」です。つまり却下はない、必ず下りるケースです。11ケースが列伽されています。
11番目の「フランス国籍者と婚姻した外国人配偶者」。これは当然として、
4.カンボジア人 5.ラオス人 6 レバノン人。7.ポーランド人 8.ベトナム人、とあります。
10年前、長蛇の列とは関係なく、あの控室にポーランド人のおじさんグループがいた理由が10年後に「読めた」のでした。
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1999年12月26,27,28日の3日間、TEMPETES(暴風雨)が主としてフランス、スイス、ドイツを襲いました。後日、この暴風雨は第一襲来、第二襲来があって、それぞれTEMPETES LOTHAR、TEMPETES MARTINと命名されていす。気象記録ではパリ近郊オルリー(ORLY)で最大風速169km /hとあります。単純に秒速換算すると60m/秒です。
フランス観光では人気スポットの一つ、CHATEAU DE VERSAILLES(ヴェルサイユ宮殿)です。宮殿は815ヘクタールの広大な庭園に囲まれていて、約20万本の樹木を誇っていますが、そのうちの1万本が損傷し、その8割が根こぎで倒れたといいます。1783年にマリー・アントワネットが植樹した2本のユリノキ(注3)、ナポレオン・ボナパルトゆかりのコルシカ松も含まれていた、とあります。

(注3) ユリノキ。 仏語名はTULIPIER DE VIRGINIE、モクレン科ユリノキ属の落葉高木とあります。

もっと身近なところで驚いたことがあります。当時、パリ17区に住んでいましたが、徒歩10分見当にモンソー公園(PARC DE MONCEAU)があります。公園内にすえられている石灯籠 (注4) ― 高さは約3メートル、円柱部分の胴回り約2メートル(実際に測ってみました)、重さは少なくとも7-800キロはありそうですーが芝生の上に横転しているのでした。

(注4)LANTERNE JAPONAIS ( 日本のランターン )。以下、碑文によりますと、
1986年7月にパリ―東京友好都市協定(1982年7月に発足)5周年を祝して、鈴木俊一東京都知事(当時)がジャック・シラク(JACQUES CHIRAC)パリ市長(当時)に贈ったもの。徳川10代将軍徳川家治(1786年没)を偲んだ石灯籠で、上野寛永寺にすえられていました。。
次男坊(1984年12月生)が6EME(6学年生。日本の学年制では小六に相当)の時、課外授業の宿題に「君の周辺にある珍しいものを6つ挙げなさい。スケッチを付けて。簡単な説明を付けなさい」がありました。散歩圏内にあったこの石灯籠もその一つに選んだものでした。
もう一つ。1999年当時、東京都パリ事務所がありました。「モンソー公園の石灯籠が横転していますよ」を知らせようとしたのですが止めました。園内には倒木が散乱していて、散歩道を塞いでいます。これらの片付けが優先されるべきでしょう。事実、石灯籠が立ちあがったのは、6か月後のことでした。
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明けて2000年の春のある日、JOURNAL OFFICIEL(J.O)を斜め読みしていました。ある「令」に目がとまりました。その「令」の掲載号が手元にないので、記憶に頼ります。
「ポーランドのポメラニア地方からフランスに来るBUCHERON(木材職人)に特別に労働許可を発給する」というものでした。フランスのリムザン(LIMOUSIN)地方(最大都市はLIMOGES/リモージュ)の某森林の被害がひどく、現地の労働力では不足なので、ポーランドのBUCHERON(木材職人)30名の臨時滞在・労働を認めるという令でした。その30名の援軍は既にリムザン(LIMOUSIN)に来てしまっていて「事後追認令」だったかもしれません。

これには事情のあることです。前段で「雇用・労働状況と関係なく労働許可を下ろす」ケースにポーランド人が含まれていたことを記しました。ところが、1987年もしくは1991年にポーランド人だけが削除されたのでした。    なぜ削除となったのかは知りません。労働力の流出が激しいのでポーランド側からフランス側に申し入れたのかも知れません。「連帯」運動から立ち上がったワレサ大統領期(1990-1995年)の労働政策と関係していたのかも知れません。いずれにしても、ポーランド人が「雇用・労働状況と関係なく労働許可を下ろす」リストから外れたので、現地リムザン (LIMOUSIN)のDDTE-MOE(県・雇用労働局―外国人労働課)では30人余の外国人労働力の導入に対応できなくて、管轄の内務省が直接関与する本省令になった、と読んだのでした。
ポーランドがEUに加盟し、EU加盟国内での滞在・労働の自由を得たのは、2004年以降のことです。
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BREXIT(英国のEU脱退)の背景には、EU圏内での滞在・労働の自由化で増加する移民への排斥感情があるとされています。ポーランドは2004年にEU加盟し、英国に居住するポーランド人は79万人見当といいます。「ポーランド人は英国から出ていけ」の感情が潜在していて、時折、ヘイト・クライム(HATE CRIME=CRIME DE HAINE,憎悪犯罪)も起きているそうです。

1974年夏、PREFECTURE DE POLICEでの「ちょっとした体験」を40余年も引っ張ってしまいました。標題は「子育て雑記」ですから、これで終わりにします。1974年生まれの長男は在ロンドンで、嫁さんは英国籍ですが、母親は在カナダのポーランド人。2010年7月、ロンドンでの結婚式にはポーランドから親族も駆けつけてくれたのでした。

2016年8月5日 リオデジャネイロ・夏期オリンピック開幕中の日々に。   岡本宏嗣

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