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「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第5回)   私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第5回) 第5回 未熟児(PREMATURE・プレマチュレ(4) 

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第5回)  
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第5回)

第5回 未熟児(PREMATURE・プレマチュレ(4) 

2016年3月8日付けJOURNAL OFFICIEL(略称J.O)に外国人滞在管理法の大幅改定が載りました。LOI n° 2016-274 du 7 mars 2016 relative au droit des étrangers en France(外国人の滞在権についての2016年3月7日付法2016-274)がそれです。
J.Oというのは政府が発行する官報で日刊紙です。法(LOI)、政令(DECRET)、省令(ARRETE)などが網羅されています。例えば、昨年2015年11月18日から実施されている非常事態(ETAT D’URGENCE)をさらに3か月再延長する措置はLOI n° 2016-162 du 19 février 2016 prorogeant l'application de la loi n° 55-385 du 3 avril 1955 relative à l'état d'urgence(1955年4月3日付法55-385の適用を延長する2016年2月19日付法2016-162)として2016年2月20日付けJ.Oに発表、といった具合です。僕は1979年秋に在仏日本人会事務局に採用されたのですが、そう、1981年頃から30年余、定期購読しています。
J.Oを知ったのは、この時期、つまり1974年3月に長男が未熟児で出生し、その診療費のトラブル解決に奔走したことからでした。思わぬ副産物でした。これについては後段で。
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家内にPREFECTURE DE POLICE(以下、PREFECTURE)から滞在許可証が発行されてからは次々にトラブルが解決していきました。PREFECTUREで滞在許可証を受け取る際に「労働許可証の方は?」と訊ねたところ、労働許可はこのセクションの担当ではない、ということでした。労働許可証というPAPIER(ペーパー)はここで発行するが、労働許可そのものは別セクションの担当である。その担当局の許可があって労働許可証を発行する、ということのようでした。この時期、出産を終えた家内は職場に戻っていました。沙汰止みとなっていた労働許可申請が復活して申請書類が労働許可担当局に送付されていました。一旦はゴミ箱に捨てられた申請書類が息を吹き返した恰好です。労働許可担当局からも呼び出し状が届きました。労働許可担当局とはDDTE-MOE(現DIRECCTE-MOE)というお役所でした。DDTEは、DIRECTION DEPARTEMENTALE DU TRAVAIL ET DE L’EMPLOI (県・労働雇用監督局)、MOEはMAIN D’OEUVRE ETRANGERE(外国人労働管理課)です。このお役所に出頭して、隣接しているONI(OFFICE NATIONAL DE L’ IMMIGRATION,国立移民局。現OFII)で身体検査を受けて、提出済みの「労働契約書」CONTRAT DE TRAVAIL)にDDTE-MOEとONIの検印が押され「ハイ、これが労働許可です」になったのでした。この時点ではよくわからず、後日にわかったことがあります。先述のPREFECTUREからは、1年後の更新手続き時に、3年ものの滞在許可証、3年ものの労働許可証が発行される方式、ということです。まとめると、こうなります。
初回。滞在許可証はCARTE DE SEJOUR TEMPORAIRE(短期滞在許可証・1年もの)。労働許可証はなく、DDTE/ONI検印のあるCONTRAT DE TRAVAILが労働許可証に相当する。
1年後の更新時。滞在許可証はCARTE DE SEJOUR ORDINAIRE(通常滞在許可証・3年もの)。労働許可証は、CARTE DE TRAVAIL ORDINAIRE(通常労働許可証・3年もの)がそれぞれ発行される。
さらに、
滞在許可証は、CARTE DE SEJOUR PRIVILEGIE(特恵滞在許可証・10年もの)。
労働許可証はCARTE DE TRAVAIL POUR TOUTES PROFESSIONS SALARIEES(全職種労働許可証・10年もの)が対応しているのでした。
CARTE DE TRAVAIL(労働許可証)というPAPIER(ペーパー)が消えて、「滞在許可証上にその旨が記載される」となったのは、ミッテラン大統領就任(1981年5月)後、3年を’経た1984年のことです。
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家内の滞在許可証、労働許可証は、なんとか解決しました。エリゼ宮(大統領府)広報室担当官(CHARGE DE MISSION)の「追っての沙汰を待たれよ」が、その経路・経過は見えませんが、結果としては「追っての沙汰」があったのでした。
SECURITE SOCIALE( SECUと略記 )にも加入し、今後発生するかもしれない診療費支払いの不安は解消しました。
さて、未払いとなっている家内の出産費、そして2か月見当の未熟児費用です。
産院から「出産費用がいくら、未熟児管理費がいくら、合わせてこれこれの費用を支払え」の請求書を突き付けられたわけではなく、もっぱら「SECU番号を知らせよ」の通告であったことは記しました。これに対して「EN COURS」(申請中です)で時間を稼いでいたことも既述のとおりです。ある時を境に「SECU番号を知らせよ」の通知が途絶えたのでした。 ところで、SECUという公共の健康保険であっても保険には違いなく、保険は事前に加入していない限り有効ではないでしょう。後日に判明したことですが、少なくとも出産予定日から遡って10か月前の時点でSECUに加入済みであり、それが有効であることが「出産関連費は100%の払い戻し」の条件なのでした。
こうした保険の常識からして、「SECU番号を知らせよ」に対して「「EN COURS」(申請中です)は答えになっていません。意味をなしていません。無効です。産院会計は、SECU加入者しか対象にしていないので「SECU番号を知らせよ」しか対応が出来なかった、と推測するしかありません。
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そして、ある日、突然、MAIRIEのAIDE SOCIALE/AIDE MEDICALE(社会援助・医療援助課)というセクションから家内宛てに「あなたの出産費、出生児の未熟児費用を援助するので、医療費援助申請をしてください」の手紙が送付されてきたのです。この手紙で、診療未払い額も判明しました。前章で記したように2万XXXXフランで、当時の円―フランス・フランレート(1万円が170フランス見当)で350万円見当でした。
申請書式と資産調書が同封されています。資産調書には月収額、年収額、預金残高、所持している株式債券の相場評価額、同じく不動産物件の相場評価額などの項目は当然ですが、金の延べ棒(LINGOT D’OR)、ナポレオン金貨(PIECE D’OR NAPOLEON) 、年代物の家具調度、土地や森林(所持ヘクタール数を記入)の項目まであるのでした。王侯貴族じゃあるまいし、そんなもの持っているわけないでしょ、そんな資産があれば、ポンとまとめて払いますよ、と思いながらAVEZ-VOUS DES OOOOO ? (OOOOOを持っていますか?) の質問にもっぱら、NON, NONを並べたことを記憶しています。フランスの当時の資産には、金の延べ棒、ナポレオン金貨、ルイ王朝家具、森林といったものがあることを知ったのでした。
こうした体験は、後年、思わぬところで顔を出しますが、それは後章に送ります。
話を戻します。申請書、調書を郵送してからほどなくして、MAIRIE(市役所)のAIDE SOCIALE/AIDE MEDICALE(社会援助・医療援助課)から依頼を受けたという調査員の訪問を受けました。事前通知なしのいきなりの訪問でした。暮らしぶりを寸見したい、ということでした。ルイ王朝家具なし、全くの貧乏所帯であることは一目瞭然です。2部屋といっても一部屋を無理やりに仕切り壁で2部屋に仕立てたものです。ひと渡り眺めて、ものの5分で帰って行きました。調査員の訪問からしばらくしてMAIRIEの同担当課から面談したい旨の通知がありました。提出した調書内容の再確認といったことでした。面談調書にしきりに何やら書き込んで「追って通知します」で終わり。こちらの人相、風体を見たかったのでしょう。首改め、人別改めでしょう。
その後、MAIRIEの同担当課からは何の通知もないのでした。そうそう、大切なことを書き忘れていました。長男の出生、未熟児として約2か月間お世話になったのはパリ14区のオピタル・コシャン(HOPITAL COCHIN)という産院です。長男の退院後も月に1回は、同産院に付設されている新生児診断室(CONSULTATION POSTNATALE)に1年間は通いました。その1年間は産院会計から「SECU番号を早急に知らせよ」と督促された時期、それが急に途絶えてMAIRIE(市役所)のAIDE SOCIALE/AIDE MEDICALE(社会援助・医療援助課)に申請した時期と重なっていましたが、長男の新生児診断には全く関係しませんでした。担当の小児科医(女医さんでした)も事務方もそうしたトラブルがあることは知らない様子でした。それは新生児の診療とは関係のないことなのでした。こちらは肩身が狭いので、会計課の前は、なるべく見つからないようにおそるおそる通り過ぎたのですが、それは必要のない心配でした。全く別のことなのでした。
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この件の顛末を急ぎます。面談調書の呼び出しがあってから、約1年半後にようやく回答が届きました。しっかりした記憶ではありませんが、請求額は5000フラン見当でした。異議がある場合は1か月以内に申し立てなさい、が付いていました。労働許可を得て仕事に戻った家内の月給の3か月分弱に当たります。「ちょっとキツイなあ」がありました。それで異議を申し立ててみました。それから約1年後に1500フランでどうか、の第二次回答が届きました。さすがに、これには「払います」の返事を出しました。さらに半年後に1500フランの請求書が届きました。長男はまるまると太った3歳児になっていました。

2016年3月30日  岡本宏嗣
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