FC2ブログ

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第1回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」 

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折割り込んで掲載(第1回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」 
前口上。
これは「フランス/パリ滞在質問箱」(以下「質問箱」)とは別のもの、別函です。
「質問箱」は、ジャンルとしてはHOW TOもの、になりましょう。「何がどうなっているのか」「何をどこでどうしたらよいか」というガイドです。ケーススタディー、エチュード・ペルソナリゼ(ETUDE PERSONALISEE )ともいえましょう。質問者との個別対話形式ですが、フランス/パリ滞在上、同じ問題、トラブルを抱えている方々もいそうなので、公開としています(但し、プライベートに関わるケースは非公開。さらに、迂回や裏ワザが必要な場合は非公開としています)。
一方、「フランス/パリ子育て雑記」(以下「子育て雑記)は独り言、私的メモのようなものです。「それなら非公開にすればいいじゃないか」といわれそうですが、「読んでもらえたら嬉しいなあー」もあります。同じ人間が書いているのですから「質問箱」と「子育て雑記」の双方の底流にあるモラルといいますかモチヴェーションといいますか、それに違いはないでしょう。また、非公開では書き継いでいく意志が萎えてしまうのではないか、の不安もないではありません。そのあたりの私的事情、よろしくご忖度ください。

第1回 「第五共和制の終幕!?」も一部にささやかれる同時多発テロ年の年末

フランス通の日本の識者が今回のテロ事件に触れて「現在の与党・社会党は人権問題には強いが治安問題には弱い」と指摘しています。ここで「人権問題に強い」は、アルカイダ系の武闘組織に人質となったフランス人を様々なルート、チャンネルを駆使して(おそらく)、なんとか人質の解放に首尾を得てきたことを指しているのでしょう。TVでは、折りに触れて「現在、この人たちが人質として拘束されています」と拘束地域別に個々の顔写真を掲げていたものです。そして、解放される度に大統領、外相などが飛行場に出迎えに行くのでした。
僕はこの地では外国人ですから「外国人の人権」の視点でフランスの動向、を眺めています。     2012年5月の大統領選でのことです。「社会党のフランソワ・オランドFRANçOIS HOLLANDEさんが勝てば、滞在許可が出やすくなるでしょうね」が時候の挨拶でした。僕は「さあ、どうでしょうか。社会党系が外国人の人権擁護の傾向にあることは確かですが、国内の失業問題、移民対策が難しい時期ですから、大幅な緩和は期待できないと思うのですが」と慎重に構えていました。
オランドさんは2012年5月15日付で大統領に就任しましたが、2週間後の5月31日付で、サルコジ―政権末期に発出された、あるCIRCULAIRE(シルキュレール)を無効としました。CIRCULAIRE(シルキュレール)というのは、担当大臣が出す事務処理上の指導・指示令です。日本での「省庁通達」に当たるのでしょうか。
オランド政権が無効としたのは、前年の2011年5月31日付で出されたCIRCULAIRE(シルキュレール)です。
1年後の大統領選での再選を狙うサルコジ―大統領(当時)は、外国人排除を謳うFRONT NATIONAL
(フロン・ナショナル/国民戦線)への支持率が高い下馬評を見て、その支持層の取り込みにかかりました。「私たちも外国人減らしには熱心に取り組んでいますよ」のデモンストレーションとしてCIRCULAIRE(シルキュレール)です。このCIRCULAIRE(シルキュレール)で「労働許可の縮小・制限方針をとったのでした。労働許可申請には「この条件を満たしている申請は、却下されることがない」の規定があります。PLEIN  DROIT(プレン・ドロワ/権利を満たしている)と呼んでいます。例えば「MASTER以上のDIPLOME取得(見込み含む)の学生で、SMIC(1)の1.5倍の給与額を持つ労働契約書が提示出来る場合」はPLEIN DROITです。ところが、これをクリアーしている申請も、このCIRCULAIRE(シルキュレール)によってバタバタと外されて「労働許可申請は却下+国外退去通告」になりました。RECOURS(意義申し立て)が殺到し、2011年11,12月には社会問題(2)になりました。
オランド政権は2012年5月31日付CIRCULAIREで、この2011年5月31日付CIRCULAIREを無効とし、2011年6月1日以降の申請で却下となった件は再審査します、を打ち出したのでした。

(1)SMIC(スミック)SALAIRE  MINIMUM DE CROISSANCEの略。全職種に共通の最低賃金。
時給:9.67ユーロ 月給:1466ユーロ(週35時間労働)2016年Ⅰ月1日付の数字。
(2)却下された外国人学生だけでなく、雇用者側も「下りるハズの労働許可申請が却下されて人材採用・人事計画に
支障を来している」の抗議を外国人管理を担当している内務省に申し入れたのでした。

さらに、2012年11月28日付CIRCULAIREで「違法滞在・労働状態(SITUATION  IRREGULIERE)の外国人、通称SANS PAPIER(サン・パピエ。滞在・労働許可証がない違法状態の外国人)に滞在・労働許可を出す方針を打ち出しました。これは2015年年末の現在も有効なハズです。
社会党系左派(GAUCHE)政府は「外国人の人権に強い」、を再確認したのでした。ここで再確認というのは、これには前史があるからです。
                    *
「外国人の人権擁護」で画期的だったのは1981年―1988年、1988年―1995年の2期にわたって君臨したフランソワ・ミッテラン(FRANçOIS  MITTERRAND)大統領下の社会党系左派(GAUCHE)政権期だったと思います。1981年5月に大統領に就任するや否や、違法雇用・違法労働状態にあった外国人の合法化に着手しました。先述した通称サン・パピエ(SANS PAPIER)―労働許可なしで雇用・労働している違法状態―に労働許可を下ろす、というものでした。このサン・パピエの合法化措置で約15万人の外国人が労働許可を得たといいます。「労働力不足を補う必要措置だった」の声もありましょうが、正直なところ、その腕力に驚いたものです。外国人滞在者としては有り難いことでもありました。
外国人がフランス国籍者と婚姻する際に必要とされていた「結婚許可」(AUTORISATION  MARIAGE/県庁PREFECTUREが担当)も1981年内に廃止されました。それまではフランス国籍者と結婚するにも「人別改め」があったのでした。
次です。これは僕が30年間勤務していた日本人会にも関わることです。日本人会の正式名はAssociation Amicale des Ressortissants Japonais en France(略称A.A.R.J.F)という誰もが覚えられない長い名前です。外国人による協会(ASSOCIATION ETRANGERE)という制限内で1958年に設立されました。面倒なことをいえば、1901年7月1日付法 ASSOCIATIONという法律があり、その第4章に「ASSOCIATION  ETRANGERE」(外国人による協会)が規定されています。この規定が廃止されてフランス人による協会一般と法的に同じになったのは1981年Ⅰ0月のことです。1901年7月1日付法 ASSOCIATION は通称ASSOCIATION1901(アソシアシオン・ミル・ヌフサン・アン)といいます。日本語に直すと「1901年法による協会」です。僕が日本人会に勤務し始めて(1979年10月)、前後左右が見えなかった頃、周囲のフランス人の誰もが「ああ、ASSOCIATION1901ね」と納得顔になるので、ASSOCIATION1901はフランスでは社会常識なのだ、と知ったのでした。ASSOCIATION1901は、現在、その数が110万を越えているといいます。設立手続きが簡便で税法上も財務・会計処理にも面倒が少ないことがウケているのでしょう。それはさておいて「外国人の協会」規定がなくなったことも、1980年代の日本人会運営には追い風でした。
さらに。外国人とは直接に関係しませんが、死刑廃止も同年同月です。ヨーロッパ人権協約第12条の
批准という手続きで成立したのでした。
そして、労働許可証というペーパーの廃止。1年、3年、10年の3段階方式だった滞在許可証の簡略化など、現在の滞在許可体系の原型となる大改革がスタートしたのは1984年7月のことでした。
*                          
2015年の年末、「非常事態」(ETA D’URGENCE)下での最大の政治的焦点は「フランス国籍の剥奪」(DECHEANCE DE NATIONALITE)のようです。テロリスト実行犯、その支援グループ、さらにはイスラム国(ETAT ISLAMIQUE)への志願兵(?)にはFRANçAIS(フランス人)が少なくない、とされています。
正確にはフランス国籍者(NATIONALITE FRANçAISE)でしょう。フランス国籍法は「少なくとも両親の一方がフランス国籍である場合、その出生児はフランス国籍である」の父母両系主義であることは日本国籍法と同じです。両親共が外国籍(非フランス国籍)であっても、フランス出生児は、その後、規定年数のフランス滞在を経ればフランス国籍になるという出生地主義(部分的な)も採用されています。また、重国籍も容認されています。「あなたがどこの国籍を持っていようが関知しないが、フランス国籍であることは確かだ」があります。寛大といいますか鷹揚といいますか。そこへ、一連のテロ事件が発生しました。テロリストの多くはフランス出生によってフランス国籍となった重国籍者が多いのでしょう。寛大に鷹揚に構えてはいられなくなりました。尻に火がつきました。刑法上テロリストと断定された彼ら(彼女ら)のフランス国籍をどうすべきか。重国籍者のフランス国籍を剥奪すべきかどうか、この点が政治的焦点になっているということです。具体的には憲法(CONSTITUTION)の部分的改定、そしてそれに続くであろう国籍法の改定でしょう。
                  *
現行のフランス国籍法では13歳―16歳(外国籍の’親が申請する)、16歳―18歳(外国籍の親の了承は不要)にフランス国籍が申請・取得できる通過地点があります。二つのいずれの通過地点でもフランス国籍を申請・取得しないで18歳の成人 (MAJEUR)を迎えたものは、18歳の時点で自動的にフランス国籍が確認される、つまり「自動取得」でフランス国籍になります。
「自動取得」をめぐっての左右両陣営の攻防には実に興味深いものがあります。            1973年から続いていた「自動取得」を覆したのは、ミッテラン大統領下の第二期COHABITATION(左右両派共存・1993年3月―1995年5月)でのことでした。1993年3月の国民議会選挙(ELECTION LEGISTATIVE・衆院選挙に相当)で左派社会党が大敗し、右派政党RPR(3)のエドワード・バラデュール(EDUARD BALLADUR)が首相になり、右派・中道内閣になりました。そして同年7月には国籍法の「自動取得」部分を改定したのでした。
(3)右派政党RPRは JACQUES CHIRAC((ジャック・シラク)が設立した政党RASSEMBLEMENT POUR LE REPBLIQUE(1976-2002)の略称。2002年にUMP(UNION POUR UN MOUVEMENT POPULAIRE)に改称し、2015年5月にNICOLAS  SARKOZY(ニコラ・サルコジー)前大統領がLES  REPUBLICAINS(共和党)に改称。

「両親ともが外国国籍のフランス出生児は、出生後もフランス滞在を続けている場合、16歳―21歳の5年の間にフランス国籍を取得したい旨を本人が国籍当局に意志表示すること」としました。「フランス国籍を取得したい旨を本人が国籍局に意志表示する」の部分はフランス語原文ではIL EN MANIFESTE LA  VOLONTEです。つまり「自動的」を「本人の意思表示による」に変えたのでした。
                      *
さらに1997年6月です。右派政党RPR(前出)のジャック・シラク(JACQUES CHIRAC)大統領の時期です。今度はRPRが国民議会選挙で大敗、左派社会党系内閣(第三期COHABITATION(1997年6月―2002年4月)になりました。1998年3月に国籍法を再び改定。「自動的な取得」に戻したのでした。
フランス語ではこうなります。
Tout enfant né en France de parents étrangers acquiert la nationalité française à sa majorité(外国籍の両親を持つフランス生まれの子どもは18歳の成人時点でフランス国籍を得る)。
これが1998年3月以降から実施されている現行規定です。左派社会党系がこだわってきた「自動的な取得」が、今回の一連のテロで守りきれない局面になっているということでしょう。
                  *
ところで、表題に「子育て」を掲げています。僕は日本人、日本国籍です。女房も同様です。両親ともが日本国籍でフランスで出生した息子が二人います。二人ともフランスの教育を受けて今は社会人になっています。「両親共が外国籍で、フランスで出生し子どものフランス国籍」規定の変遷に無関心でいられません。
先に紹介した1993年7月の改定、さらに1998年3月の改定、この双方とも「日本人会会報」に詳述したものです。というのは、この改定は、日本国籍法にも直接関係してくるからです。
日本の国籍法第十一条にはこうあります。
日本国籍法第十一条  日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。
おわかりでしょう。1993年7月の改定では「フランス国籍が欲しいものは、その旨を意志表示せよ」つまり「本人の志望によって外国籍(フランス国籍)を取得した」ことになります。1993年7月の改定以前そして1998年3月の改定以降は「本人の意志ではなく自動取得」と認定されますので合法的な二重国籍です。「22歳までに国籍選択をすべきこと(日本国籍法第十四条)はあるものの、少なくとも18-22歳の間は「重国籍を'禁じている」日本国籍法でも日仏重国籍が合法的とされるのであります。
偶然ですが、長男は1993年の改定1年前1992年に18歳になり、11歳違いの次男は1998年改定4年後の2002年に18歳になり、いずれも「「本人の意志ではなく自動取得」の適用期間になりました。
                   *
長男が生まれたのは1974年3月ですが、その時期にフランス国籍のことは薄ぼんやりした夕闇の意識しかありませんでした。ほとんどなかったといってよいでしょう。その時期に某新聞のゴシップ欄に「ソフィア・ローレンがイタリア女優に戻る、残念」といったタイトル記事が目にとまりました。ソフィア・ローレンがイタリア民法に抵触する離婚、再婚のトラブルを解決するために一時的に便宜的にフランス国籍に変更してフランス女優であったが、トラブルが解決したのでイタリア女優に戻った。ソフィア・ローレンほどの大女優がフランス女優でなくなったのは誠に残念」という記事内容でした。
ここヨーロッパでは国籍は着せ替え人形の衣装ようなものだな、と思ったことでした。同じ時期に「ジスカール・デスタン大統領が“赤毛のダニー”のフランス入国願いを'却下」の記事も目に入りました。“赤毛のダニー”DANY LE ROUGEはDANIEL COHN BENDIT(1945- )、1968年の通称「パリ五月革命」の学生運動指導者で、日本左派業界ではパリ五月革命の闘士、イデオローグとして勇名を馳せていたものです。NANTERRE大学(パリ第10大学)全共闘議長といったところでした。彼はドイツからフランスに亡命したユダヤ人家庭に生まれたフランス出生児なので、18歳でフランス国籍になるところをこれを返上していたので、「危険な思想を持つ非フランス人学生」としてフランス国外へ追放処分になっていたのでした。同記事では彼の国籍事情も入り組んでいてよく分かりませんでしたが、「国籍とは便宜的なもの」の印象にゆらぎはありませんでした。
                     *
子どもがフランスでの学校学年を重ね年齢が上がるに従って、外国籍(日本国籍)でありフランス国籍でないことに次第にひっかかるようになりました。僕が日本人会事務局に勤務(1979年10月から)し始めて、周囲から「ウチの子とフランス国籍」について質問されることが多くなってきたこともあります。1984年に日本国籍法がこれまでの父系主義から現行の父母両系に改定されたのですが、それに先だって日本大使館で公聴会のようなものがあり、それに出席したことも国籍について取り組む機会になりました。
国籍についてあれこれ思いをいたすようになりますと、例えばミッテラン大統領(当時)が記者会見で触れた言葉も耳と心に残るようになりました。
大意ですが「フランスの地で生まれたものは同胞である」。
「フランスの地」はSUR LE SOL FRANçAIS、「同胞」はCOMPATRIOTEだったでしょう。
DROIT DU SOLという国籍上の言葉があります。出生地から来る権利、出生地主義ということでしょう。DROIT DU SANG(血統から来る権利、血統主義)と並ぶキーワード・フランス語であることを学びました。
さらに、国籍とは関係しない文脈での言葉でしょうが、心にひっかかるフランス語があります。
CELUI QUI VEUT ETRE FRANçAIS EST FRANçAIS(フランス人たらんとするものはフランス人である)
                  
                   *
2016年のフランスはどこへ向かって進むのでしょうか。1958年から57年間続いた第五共和制の終焉を口に出す気の早い向きもいるのですが、、、。

(2015年12月31日 記) 岡本宏嗣
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

okamotohirotsugu

Author:okamotohirotsugu
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR