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「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第23回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第23章)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第23回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第23章)

雑感「フランス/パリ・子育て」の周辺(3)―マスクと距離―

次男坊が小学校(ECOLE ・エコール/5年制)の高学年の時期だったか中学校(COLLEGE・ コレージュ/4年制)の低学年生だったでしょうか。
ある日のある時、あるフランス人から勤務先日本人会に電話が入りました。
「日本大使館に電話を入れたところ、そういうことについては日本人会という組織団体があるので、そちらに問い合わせてください」ということなので、こうして電話を入れている次第です、がそのフランス人の前口上でした。
本題はこういうことでした。
「MON QUOTIDIEN」(モン・クオティディエン/英訳MY DAILY)という子ども向けの新聞があり、子どもに読ませています。この新聞にクイズが載っているのですが、日本に関する質問なので教えていただきたいのです」
次男坊も「MON QUOTIDIEN」を定期購読していたので、この子ども新聞の存在はよく知っていました。次男坊の周辺にも定期購読している同世代の子たちが少なからずいました。
「そのクイズの質問は[日本人はなぜマスクをするのか]ですが、父親の私にもわからないので、教えていただきたいのです」
解答が選択方式であったかどうかは忘れましたが、僕はこう答えました。
「私は風邪をひいていてあるいは風邪気味でヴィルスの保菌者かも知れません。あなた方に感染させてご迷惑をかけたくないのでこうしてマスクをしています」
電話口のフランス人の父親はなんとなく納得したようで電話は終わりになりました。

シャンゼリゼ大通りやオペラ界隈で、マスクをしている日本人観光客を見受けますが、
すれ違う人々が奇異の目で見ていることも毎度の光景です。
「マスクが子ども新聞のクイズに取り上げられるまでに昇格したのか。マスクの大出世だな」の印象が残ったのでした。
それからおよそ25年、マスクが世界レヴェルの大役者で登場しようとは。

そうそう、COVID-19禍の禁足令で引きこもりの日々が続き、かなりの量のツンドク本を消化することができました。その中の一つに佐藤優著「自壊する帝国」(新潮文庫)があります。同著は、ソ連の崩壊を在モスクワの外交官の目から見た体験記ですが、こんなモスクワ生活のエピソードを紹介しています。
―毎年三月になると、くしゃみが止まらない花粉症患者が増える。しかし、ロシア人にはマスクをする習慣がない。マスクは法定伝染病にかかった患者が病院内で無理矢理つけられるというイメージが強い。あるとき、若い日本人外交官がマスクをして地下鉄にのったところ、満員電車なのにその外交官の回りから人が去っていったという話をしていた。
私は、「民警に通報されて」、強制入院させられなかっただけでも、感謝したほうがいい」と応えた。― (同著 P218)
ここでは、風邪ではなく花粉症ですが、マスク着用についての周囲の反応はパリと同じようです。ニューヨーク駐在のある報道特派員もCOVID-19騒ぎ始まった当初はウサン臭く見られた、車内で胸倉をつかまれて度づかれたマスク着用者もいる、などを伝えていました。

今や、老若男女、猫も杓子もマスクをしています。マスクをしていないと逆にウサン臭く見られるようになりました。これが革命でなくて何でしょうか。COVID-19はマスク革命を起こしたのです。
僕は先に「日本人はなぜマスクをするのか」のクイズ質問にこう答えたと記しました。
「私は風邪をひいていて、あるいは風邪気味でヴィルスの保菌者かも知れません。あなた方に感染させてご迷惑をかけたくないのでこうしてマスクをしています」
しかし、このマスク革命に「あなた方に感染させてご迷惑をかけたくない」の心得はないでしょう。パリでもモスクワでもミューヨークでも「お前さんからコロナ・ウィルスをもらいなくないんだよ」の防御心がマスク革命を引き起こしたのではないでしょうか。
                  **
もう一つ、痛切に感じたことがあります。
フランス内務省はコロナ感染の防止心得として、挨拶(SALUER)としての握手(SE SERRER LA MAIN)、抱擁(EMBRASSADE)を避けるように通達しました。スーパーなどでは人と人の空間を少なくとも1m以上は保つこと、とされました。この空間、人と人の距離はDISTANCE SOCIALEと呼ばれています。

ところで、僕は家内と二人で2009年頃から「BAC日本語準備クラス」を運営しています。
当地フランスでのTERMINAL(テルミナル=最終学年生、日本での高3)、PREMIER(プルミエ。日本での高2)を対象にBACでの日本語模擬試験をしています。模擬試験用に日本語テキストを選び試験問題を作成して塾生に挑戦させています。
それら模擬試験用の日本語のテキストの中の一つに「お辞儀という挨拶」があります。
俳人・長谷川櫂さんの全文600字強のショート・エッセイで、2009年」10月16日付
朝日新聞の文化欄に掲載された一文です。その文意はこうです。

欧米の人々にとって「お辞儀は奴隷の挨拶のように映るらしい。いつになったら握手に変わるのか、とからかわれることも多い」が、「しかし、日本人が今もお辞儀をするのにはわけがある」。「高温多湿な日本の夏は肌がべたべたし、食べ物が腐るので疫病がはやる。この夏へのおそれが日本人を無類の清潔好きにした。挨拶も握手やキスや抱擁のように体を触れ合うのではなく、少し離れたままお辞儀をするようになったのも夏への恐れのためだろう。」
そして、さらに「お辞儀は互いに頭を下げるので二人の間に一定の間がなければならない。あまり近すぎると、頭がぶつかってしまう。お辞儀は親しみの表現であると同時に「これ以上、近づかないで」という無言の合図でもある」と説きます。

この短文テキストの終点はこうです。
「二人の人間が入ってお辞儀をしてもぶつからない幅が一間(約1.8メートル)、畳の縦の長さである」。日本の建築は、「千利休の茶室も長屋も御所もこの一間を単位にして組み立てられている」。
一間(約1.8メートル)は、そもそもが日本人の生活習慣距離であり文化的距離でもある、という結論です。

2020年7月27日    岡本 宏嗣 記 
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