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「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第21回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第21章)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第21回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第21章)


雑感「フランス/パリ・子育て」の周辺

2019年のバカロレア(BACCALAUREAT/略称BAC)の本試験が6月下旬に終わりました。受験者総数は74万3594人とあります。BAC試験制度が2021年から新方式になるとのことで、それに反対する一部の教員が試験監督や採点の任務を放棄するなど、混乱が生じていました。
新方式では、在籍しているLYCEE学内での試験結果や日常学習の内申点も加味するので、EGALITE DE LA CHANCE DANS L’EDUCATION(教育の機会均等)が崩れる、と反対派は主張します。
二人の息子の学校教育を眺めてきた体験から、「ここフランスでは、どこのLYCEEでBACを取得したかは一切関係しない。CV(履歴書)にも記さないし、記す意味がない」と確信していました。CV(履歴書)に記すのは、BACの取得年度、L(文系)・S(理系)・ES(経済・社会系)、TECNOLOGIE(技術系)、PROFESSIONNEL(職業系)などの選択コースです。
さらに、MENTION(評点・評価の特記)が付いていれば、それは記します。

フランスは20点満点(VINGT SUR VINGT)制です。BACの成績では、平均点が20点満
点の10点以上が合格です。そして、MENTIONはこうです。

MENTION                  平均点数
TRES BIEN  (TB / 最優秀)             16点以上
BIEN   ( B / 優秀 )              14-15,99点
ASSEZ BIEN (AB /  良 )             12-13,99点
これが、MENTIONです。
10,00~11,99は、MENTION が付かず、ADMIS(合格)です。       
平均点が8~9.99の場合は、ORAL(口頭試問)による追試(RATTRAPAGE(ラトラパージュ)があって、なんとか合格点にスベリ込みです。

さて、ハナシを戻しますと。
同一試験を受けるのですから、平均点だけが問われ、どこのLYCEE学生であるかはどうでもよいことになります。
これが在籍LYCEEでの内申点を加味することになると、世評で一流とされているLYCEE A校で取得したBAC,、二流とされているLYCEE B校で取得したBACという具合に「BAC格差」が生じかねない。現行のBACが保証しているLYCEEの匿名性が崩れる恐れがある、というわけです。
一方、改革を勧める教育省の主張はこうでしょう。
日頃の学内での試験点、学習態度評価などを加味することによって、現行のBAC試験期に集中する受験生と教員の精神的・肉体的負担を緩和、軽減させたい。「日頃の学習が大切」を普及させたい。
「費用がかかり過ぎる」も本音としてあるでしょう。70万余の受験生のBAC試験実施に総額15億ユーロかかるとされています。400万コピー、動員される試験監督、採点者は延べ17万教員といいます。ちなみに、ORAL(口頭試問)での教官のREMUNERATION(謝礼額)は、SMIC(現行10,03ユーロ/h 全職種最低時間給)を下回っているそうです。
         
二人の子どもの学校教育はとうの昔に終えているので、BACの行く末は無関係としたいところですが、2009年から家内と「BAC日本語試験準備クラス」を運営しているので、そうもいっていられない事情があります。日本語をBACでの外国語科目として選択する生徒が相当数いるのです。(注1)

(注1)いうまでもないことですが、BACではフランス語が国語です。外国語はLANGUES VIVANTES(LV)といい、英語、ドイツ語、アラブ語、スペイン語、ヘブライ語、イタリア語、中国語、、、、日本語も入っています。LV 1(第一外国語)、LV2(第二外国語)、LV3(第三外国語)の選択制になっています。例えば、ある受験生は、LV1は英語、LV2は日本語、LV3はスペイン語を選択する、といった具合です。

               ****

二人の子どもの学校教育はとうの昔に終えているので、と記しました。とりわけ小学校時代のことは大昔のことです。大昔のことながら、未だに納得がいかないことがあって、2年ほど前に教員関係者に問いただしたものです。
それは、小学校低学年でのSAUTER(飛び級)制度です。
長男はCE1(小2)を終えてCM1(小4)にSAUTERしました。次男はCP(小1)からCE2
(小3)にSAUTERしました。
ひと様は知りません。僕は子どもをSAUTERさせたくなかったのです。
日本人の家庭であれば、幼少期から読み・書き・ソロバンの手ほどきをするのは特別のことではありません。勉強机に向かうスタートが周囲の非日本人家庭の子たちより多少早いということに過ぎないと踏んでいました。日本国内に置けば「ふつうの家庭の子ども」でしょう。ここパリの公立小学校では、周囲の子たちよりチョット先行して走り始めているだけのこと。成績がよい、といっても知れている。僕はこう見ていました。

まず長男の場合です。長男が学齢期に入る時期、公文教室は未だありませんでしたが、
故竹原正三先生(2006年2月没)が主宰されていた「パリ日本語学校」(通称竹原塾/1967-2006)があり、週1回、日本語(国語)と算数の学習に通わせていました
(僕はその時期、同塾で中・高校生に〔日本式〕数学を教えていました)。

CE1(小2)が終了する年度末5月頃のことです。細かいイキサツは忘れましたが、学校側のSAUTERの申し出にOUIの返事をしなかったためでしょう、DIRECTRICE(校長)に呼び出されました。
父親―私は日本の学校教育を受けてきました。フランスの学校教育は私自身が通ってきた道ではないので全く見えません。学業・学習がこれからこうなっていくの見通しが立ちません。ましてや、SAUTERした場合は、その空白がどうなるのか、全く見えません。 今でもフランス語の学習はお手上げです。わずかにMATHEMATIQUES(算数)だけがなんとか見えています。子どもをSAUTERさせても親としてそれをフォローすることができません。年齢相応で進ませてください。
校長―学校で学習するのは、親のあなたではなく子ども自身です。親の助けがなくても自立して行けると見ています。子どもを信頼しなければいけません。
父親―息子はPREMATURE(未熟児)で出生しました。体力的にも弱いところがあります。SAUTERはさせずに、普通のリズムで行かせたいのです。余裕を持って行かせたいのです。
校長―それを「時間の無駄」(GASPILLAGE DE TEMPS)といいます。

おおむね、こんな会話で押し切られてしまいました。別れ際にCM1(小4)の算数の教科書を渡され、「この夏休みの間に教えてあげなさい」。
「親がNONと主張しているのに、この強引さは何だろう。学童のことより、自分たちの、、、」。この疑念が僕の中に残りました。
9月新学期となって1か月後、担任の先生から「フランス語のボキャブラリ(VOCABULAIRE)が弱い。放課後に私が面倒を見ます。1か月50フランです」の申し出を受けました。効果があったのかどうか、当人も「ワカンナイ-」でしたが。

次男です。長男と次男は11歳の年齢差があり11年後のことです。同じ小学校で、
校長はじめ学年別の担任教員もほぼ同じ顔ぶれのようでした。「フランス語のボキャブラリ(VOCABULAIRE)が弱い」ということでお世話になったCM1(小4)担当の先生は既に定年退職していました。

今度は文書でNONを表明しました。「何をあくせく先を急がせるのか。年齢相応でよい」という趣旨です。
例の校長から電話がかかってきて、長男を寄越しなさい、となりました。 「無理はしまい、背伸びはさせまい、余裕のあるがよい」の持論をいい含めて、長男も「分かっている、分かっている」で出かけたのですが、「ダメだった、押し切られた」で戻ってきました。長男の報告はこうでした。
呼び出されたのは、職員会議の席のようでした。「父も母もSAUTERには反対です。その理由は、、、」と弁舌を振るったところ、
「ところで、キミは今どうしているの?」と校長が訊ねるので、
「LYCEE  Aのプレパにいます」と正直に答えたら、「ほら、キミのSAUTERに何の問題もなかっでしょうが。あなたの両親は心配のし過ぎです。キミの現在が、SAUTERをしても何の問題もなかったことを証明しています。ハイ、この件は終わり」。

上段で「親がNONと主張しているのに、この強引さは何だろう。子どものことより、自分たちの、、、。 この疑念が僕の中に残りました。」と書きました。大昔のことで時効なのですが、周辺に小学校教員関係者〔教員を家族に持つ日本人〕がいたので質して見ました。2年ほど前のことです。

拝啓。ゲスのカングリかも知れませんが、あえておうかがいします。SAUTER生徒を出すと校長の勤務評価が上がるとか、学校評価がランク・アップするとか、、、、などの利得があるのでしょうか。何が何でもSAUTER生徒を出したい内々の事情があるのでしょうか。
その教員関係者にこう問い質したのでした。
その返事は「そのような利得は何もないそうです。それは、ゲスのカングリ、親バカの裏返しです」。こっぴどく叱られてしまいました。
                 ***

今では社会人となっている子どもに、正直な感謝があります。
息子は長期の研修・出張・転勤などで大きく「動く」のですね。僕たち親は、その移動先に転がり込み、旅の楽しみを満喫させてもらいました。今でもこの楽しみは続いています。
東京に住む息子、娘を頼って上京する「東京物語」(小津安二郎監督)のようなものですが、息子の「動き」の範囲はかなり広いのです。従って、親の旅の範囲もフランス国内を越えて広がります。

長男がSERVICE NATIONAL(国民役務)の「VIE」でスコットランドに動きました。〔注2〕
父親(僕です)、母親(家内です)、次男坊の3人でエディンバラ(EDINBURGH)、アバディーン(ABERDEEN)を訪問しました。
ハイランド(HIGHLAND)地域をバス旅行して、ネス湖のネッシーに挨拶をしてきました。長男がスコットランドに動くことがなかったら、ネッシーへの挨拶はまずなかったでしょう。
30代-40代前半の父親であった時代。僕は一貫して車を持ちませんから、大荷物をかかえて列車に乗り継ぎ、あるいは長距離バスに乗り換えての旅でした。4人家族大移動でした。40代後半以降は、拠点なしでの移動旅行は無理になっていました。そこへ活路を開いてくれたのが息子の「動き」でした。

(注2)VIEはVOLONTAIRE INTERNATIONALE EN ENTREPRISEの略称。フランス国外にあるフランス系企業での研修です。SERVICE NATIONAL(国民役務)でのVIEは14か月勤務でした。給与は国防省、外務省の折半負担、住居は研修先の会社負担ということでした。2002年にSERVICE NATIONAL(国民役務)は廃止になりましたが、VIE制度は外務省管轄下で継続されています。次男は、VIE契約で2年間、中東のフランス系企業で研修し、そのまま同企業に正社員としてとどまっています。

スコットランドといえば、スコッチウィスキーとかシャーロック・ホームズに登場する
スコットランド・ヤード(SCOTLAND YARD)などを想起しますが、僕には忘れがたいこんな思い出があります。
パリへ到着した1972年当初、ご他聞に漏れずアリアンス・フランセーズに通いました。教科書は「le francais et la vie 1」(通称MAUGER ROUGE/モージェの赤)。
その教科書の冒頭、第1章です。
VOUS  ETES UN ETUDIANT ANGLAIS ? (あなたは英国の学生ですか)
NON,  JE SUIS ECOSSAIS. (いいえ、わたしはエコセです)

と出てくるのですね。授業が始った当日(2日目だったかも)に「読み」番にされたのでした。「エコセってなんだ」でした。あわてて辞書を引くと「スコットランド人」とあります。フランス語で、スコットランドはECOSSE, スコットランド人はECOSSAIS(E)ということを初めて知りました。
DOUCHE ECOSSAISE(スコットランド人のシャワー)を知ったのは、それから10年後くらいでしょうか。「熱過ぎたり、急に冷たくなったりするシャワー」です。ECOSSAISにはチョット失礼かもしれませんが、ユーモアのある表現ですね。CHAPEAU ANGLAIS(イングランド(英国)人の帽子=コンドーム)と同じでしょう。
1972年にECOSSE 、ECOSSAISを知ってから26年後1998年にECOSSEを旅したのでした。
2000年代に入って、長男が勤務の事情でロンドンに居を移したので、ロンドンには頻繁に通いましたが、アイルランドに足を運んだのはロンドンに拠点があってのことです。

マレーシアはクアラ・ランプールに4年ほど勤務していましたが、ここにも転がり込んで、カンボジアのアンコールワット寺院群に詣でたり、マラッカ海峡にも足を延ばしたり、でした。これも、息子がクアラ・ランプールに陣を張っていたので遠征できたのでした。
              
  ***

一方、次男は仕事(水処理事業)の事情で中東勤務です。
この6月にはアラブ首長国連邦のアブダビとドバイで泳いできました。
ここでECOSSE、ECOSSAISと似た大昔の回顧になります。
1974年~5年頃のことです。40年余も前のことです。長男が未熟児で生まれて、産院に膨大な未熟児費用の借金をして悪銭苦闘していた時期でした。
「日本人をストップしろ」(Il faut stopper les Japonais)という本が日本の出版界で話題になりました。注(3)
この本の裏表紙にこうあります。
「幻の著者が、日本体験で得た繊細で鋭い観察眼によって、<日本はなぜ大国になりたがるのか、なぜ脅威なのか>を歯に衣着せぬ表現、寸鉄人を刺すユーモアで酷説した、パラドシカルな日本の批判書」です。
こういう内容の本なのですが、僕が気になったのは以下のリード文です。
「明日あなた方を支配するのは、コミニズムでもなければ、アラブの石油国首長でもない。東京を注目せよ。以下略」
自分の国日本のことです。日本の急激な経済膨張への警戒論は「過大評価じゃないの」とか「またぞろ、日本脅威論、警戒論が出てきたな」とか「ジャパン アズ No1. 日本には、何でも一番になりたがり屋が多いから」とかで済むのですが、日本経済膨張の比較勢力として引き合いに出されている「アラブの石油国首長」には「エッ」の驚きがありました。中東については、映画「アラビアのローレンス」での部族間の利権争い、の域を出ない認識でしたから。

そのアラブ首長国連邦のアブダビとドバイを40年余を経てこの目で見たのでした。
ECOSSE、ECOSSAISといい,アラブ首長国といい、フランス/パリ生活の揺籃期に知ったことどもが、成長した息子たちの「動き」に便乗して実現することになろうとは、、、。

〔注3〕「日本人をストップしろ」ジャポネ排斥論 エフィーモフ著 萩野弘巳訳 
サイマル出版/1974年刊 )

2019年8月7日   岡本宏嗣 記
同8月9日 誤字など一部修正


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