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「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第19回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第19章)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第19回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第19章)

プレパ(PREPA)からグランゼコール(GRANDES ECOLES)入試へ(2)

フランスの大学は国立で入学試験はない。合格率が80%を越える共通試験BACCALAUREAT(バカロレア、通称BAC)にパスすれば大学登録資格がある。授業料は無料同然。ついでにもう一つ。医学部進学も入試なし。授業料も無料同然。

しかし、考えてもご覧じろ。こんな美味しいハナシが現実にまかり通るものでしょうか。
長男の学年が上がるにつれ、周辺から進路進学の実情、実態が耳に入ってきました。
BACさえパスすれば大学に登録はできるが、1年生から2年生に進級できる学生は30%前後。3年間でスンナリとLICENCE(リサンス/学士、3年教程)を取得する学生は
20%見当。3年教程のところを4年もしくはそれ以上をかけて取得する学生も含めてもLICENCEにたどり着くのは30-40%。多くの学生が脱落、あるいは進路コースの変更に追い込まれる。これがパリ大学での実情、実態である。(注1)(注1bis)

また、弁護士、教員、研究者など、グランゼコールGRANDES ECOLESにはない職業・職種の資格取得コースに進まないとグランゼコールGRANDES ECOLES出身者の後塵を拝する、つまりは、まともな就職にきわめて不利である。
さらに、さらに。大学に行くよりも「BAC+2年教程のBTS(BREVET DE TECHNICIEN SUPERIEURE)コース、同じく「BAC+2年」教程のDUT(DIPLOMES UNIVERSITAIRES DE TECNOLOGIE)コースの方が、年限が2年で短いこと、「学位」ではなく「職業資格DIPLOME PROFESSIONNEL」なので、就職にはツブシが効く、といった情報です。(注2)

(注1)日本ではソルボンヌ(SORBONNE)大学が有名です。ソルボンヌの名が付く大学は3校あります。パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ(PANTHEON SORBONNE)、
パリ第三大学ソルボンヌ・ヌーヴェル(SORBONNE NOUVELLE)、パリ第四大学ソルボンヌの3大学です。いずれも文系です。                     ソルボンヌ(SORBONNE)大学は、日本のように文・法・政・経・商、、、などの文系学部・学科から理・工・医系までを揃えた総合大学ではありません。もちろんソルボンヌ3校に入試はありません。但し登録希望者が定員をオーバーする人気の学部・学科では、 定員の一部はリセ(高校)とBACでの成績から、残りはクジ引きで、といったことになっているようです。

(注1bis)2018年1月から大学組織の大幅改定がスタートして、SORBONNE UNIVERSITES
(ソルボンヌ大学群)が登場しています。
パリ第二大学(ASSASアサス)、パリ第四大学(PARIS SORBONNE)、パリ第六大学
(PIERRE ET MARIE CURIE(ピエール・エ・マリ キュリー)がグループ化してSORBONNE UNIVERSITESの呼称になっています。
(2019年3月27日 補記)

(注2)BTSには119職種、DUTは42職種のコースがあります。法、経、商、工、 芸術、医療、サービス、、、、。ありとあらゆる職種分野の資格コースが網羅されています。BAC+2年の教程ですが、医療治療系は3年コース。
BTS登録は、毎年12-3万人、DUT登録5万人強といったところ。大学(UNIVERSITE)のLICENCE(学士、3年教程)に登録する学生は20万人強ですが、
途中からBTS、DUTコースに変更する学生も相当数いる模様です。

               **
また、医学部進学についても厳しい情報が入ってきました。長男の小学校時代の友だちに医者の息子がいました。中学・高校は別でした。その旧友と久々に出会って、現状と今後の身の振り方の話になったのですが、BACを終えた後、パリ大の医学部ではなくベルギーの大学の医学部に行くつもりだというのです。パリ大の医学部では医進教程に進めそうもないというのです。
医学部に登録はできても、2年目に振るい落としの大きな試験がある。(注3)(注4)    この試験に落ちても翌年もう1回挑戦できるが、2回失敗したら進路コースを変更せざるを得ない。そこで、パリを避けて地方の大学の医進コースに登録する学生も多い。同じ フランス語圏ベルギーの大学医学コースにフランス人学生が殺到してベルギー側が悲鳴をあげている、といった情報も入ってきました。
長男も次男も医者になる気はないので、直接には関係のないことなのですが、美味しい ハナシが転がっていないことを痛感したのでした。

(注3)大きな共通試験とはPACES(PREMIERE ANNEE CONCOURS AUX ETUDIANTS DE SANTE)。試験にパスした学生は、その点数によって、医科コース、
歯科コース、薬学コース、助産科コースに進む、とされています。実際にパリ大医学部(CENTRE HOSPITALIER UNIVERSITAIRE DE PARIS)で専門医師資格を取得した A医師に医学部の事情を聞いたことがあります。A医師の説明によればこうです。PAGESパス後も教程の節目、節目に試験があり、初年度に2000人見当いた登録生で、9年後に一般医師資格にたどり付いた学生は100人見当、一般医師資格を得た上で、さらに2年間の教程を必要とする専門医資格の取得者は100人見当のうちの約20人ということでした。
一般医はMEDECIN- GENERALISTE、専門医はMEDECIN –SPECIALISTEです。  専門医は一般医も兼ねることができます。

(注4)「La Gifle 」(ラ・ジフル/頬打ち)という映画がありました。1974年Claude PINOTEAU(クロード・ピノト)監督の作品です。40年余も前の映画です。主人公の医学生役 イザベル・アジャニ(Isabelle Adjani)、父親役リノ・ヴェンチュラ(Lino Ventura)はリセの歴史の教員。父娘家庭です。母親役のアニー・ジラルド(Annie Girardot)は、家庭を離れ英国で田園生活という設定。物語は医学部登録の19歳の娘イザベル・アジャニが現在のPAGESに相当するテストに失敗することから始まります。ECRI(エクリ/筆記試験)でヤマが外れたのでしょう、一行も書けない白紙答案で試験会場を去るイザベル・アジャニ。学友としてフランシス・ペラン(Francis Perrin)、ナタリー・バユ(Nathalie Baye)、リシャール・ベリー(Richard Berry)など、今では名優となっている面々が、 ういういしい顔をのぞかせています。
1974年公開当時はテストに失敗した女子学生の挫折、その家庭のトラブルを描いた思春期もの、といった印象でした。このテストが医進への可否が決まるPAGESであったことを知ったのは遙かに後年のことです。これまでにTV放映で4-5回は観ています。  「これがPAGESというものか」と認識したのは1990年代、長男が受験期に入った時期だったでしょうか。なお、同監督の作品
「La Boum(ラ・ブーム」(1980)、「La Boum 2(ラ・ブームその2)」(1982)は思春期の子たち(Adolescents)の生態をコミカルに描いた映画で一大ブームを引き起しました。

さて、プレパからグランゼコールの入試へ、です。
長男がプレパ生だった時期は「そもそもプレパって何だ。グランゼコールって何だ」が
あって今一つピンとこなかったのですが、次男の時期には「プレパは半ば気力勝負、半ば体力勝負」と思い知ったものです。学校での授業時間が午前8h-12hの4時間、午後13h-18hの5時間、計9時間。帰宅して夕食後に3-4時間。就寝は午前3時頃。
起床は7h頃。寝不足で不機嫌そのもの。朝食はほとんど摂らず、手の平に指で何やらを
描くオマジナイのような動作をして、7h30頃には飛び出して行く日々でした。
プレパ校へは歩いて25-6分。窓から見送ると、大股歩きの後ろ姿ですが、学校が近づくと走っていることでしょう。7h55分には始業準備のベルが鳴るそうですから。
                              ***

僕には「遠くの名門校より近くの二番手校でよい」があります。東京生まれ、東京育ちの僕自身の小・中学校の通学体験から来ています。小学校ではクラス一の遠距離通学生でした。中学校も越境入学で遠距離通学。満員のバスにゆられ、その後電車に乗り換えて2時間見当の通学時間でした。それで中三の一学期に体をこわして二学期から近所の中学校に転校した経緯があります。高校受験を控えた中三の2学期から、いきなり、歩いてわずか5分の通学になったのでした。この長距離通学の体験がトラウマになっているのでしょう、「通学で体力を消耗させるな、エネルギーを浪費させるな」があるのですね。次男坊が通ったプレパ校は、プレパHENRI IV(アンリ4世)、 プレパLOUIS LE GRAND(ルイ偉大王)などに比べれば二番手プレパでしたが、それでよい、一向に構わない、歩いて25-6分は体力温存、維持に最適、と思っていました。
プレパでは「1日に少なくとも12時間の学習が必要、学校での8~9時間+自宅で4~3時間=12時間学習、12当9落が相場とされていました。
繰り返します。プレパは気力と体力の勝負です。
              
                      *** 

学校事情、進学事情を「知らない、分かっていない」時期、ある日本人のお母さんがこういい放ちました。「ポリテクといっても500人も採るんですよ。(あなたの息子さん)お入れなさいよ」。言外に「ウチの子も入れるつもりです」がうかがわれます。         「ポリテクの定員500人を埋める秀才はフランス全土にゴマンといるでしょう。ウチの息子がその500人の中に入れるとは到底思えません」
後年知ったことですが、ポリテクの定員500人というのは1番から500番までが合格ということではサラサラにないのでした。コース(FILIERE)別に定員数があって、近年の数字では、
MP OPTION INFORMATIQUE(数学物理・情報工学)   102 名 
MP OPTION PYSIQUE ET SCIENCE INGENIEURE
(数学物理・物理系技術)                  80 名 
PC (PHYSIQUE CHIMIE 物理・化学)             130 名
PSI (PHYSIQUE SCIENCE INGENIEUR(物理系技術     57 名
            .                。
                            。
                            。
                                     計 415 名
,
各コースの合計が年度によって400-500名見当ということなのでした。
また、プレパ生なら誰もが自由に挑戦出来るわけではなく、自ずと受験資格の「枠組み」があることも後年に知ったことです。CLASSE ETOILE(STAR  CLASS)に入っていることです。理系の場合はHypo –Khagne(イポ・カーニュ・プレパ一年生)、Khagne(カーニュ・同2年生)。文系はHypo-Taupe/Taupe(イポ・トープ/トープ)の呼称があります。プレパ界のアルゴ(ARGOT隠語)です。アルゴといえば、5/2(CINQ DEMI・ サンク・ドウミ)を息子たちから教えてもらいました。
ポリテクニシャン(POLYTECNICIEN)を{X}(イックス)と呼びます。プレパは2年制
ですが、初回の試験に失敗して、もう1年、プレパに在籍する。このプレパ3年生を
5/2(CINQ DEMI/サンク・ドウミ)というのです。{X}を{3}から{2}に積分すると9/2―4/2=5/2(CINQ DEMI/サンク・ドウミ)になります。プレパ2年でパスすべきところを3年を費やした、ということです。実際には、プレパ3年生の総称になっています。但し、誰もが5/2(CINQ DEMI)=プレパ3年生に残れるわけではありません。GRANDES ECOLESの入学試験で、「希望校に惜しくもハズレた。点数がわずかに及ばなかった。もう1年やれば、、」の惜敗組です。ちなみに、わが息子二人とも
5/2(CINQ DEMI/サンク・ドウミ)、プレパを3年間やりました。

                                             ***

グランゼコールは、ECOLE D’INGENIEURE(技術系)とECOLE DE COMMERCE(商業系)に大別されます。この辺りのことは、第12回・12章で触れました。ここではECOLE D’INGENIEURE(技術系)の入学試験についてです。
単独で入試を実施するグランゼコールは
ECOLE POLYTECNIQUE、ENS(ECOLE NORMALE SUPERIEURE)/ESPCI, ECOLE CENTRALE―SUPELEC。
その他は、CONCOURS COMMUN(グループ共通試験)方式です。
代表的なCONCOURS COMMUNは、
CONCOURS COMMUN MINES-PONTS/MINES-TELECOM
CONCOURS COMMUN DES( INSTITUTS NATIONAUX) POLYTECHNIQUES CONCOURS COMMUN e3a

一つのグループにA校、B校、C校、、、、、複数校のECOLE D’INGENIEURE(技術系)が加入しています。受験生は第一志望から第十志望(年度によって異なりますが)までを 提出。試験の結果点数を見て、志望順位を調整出来る仕組みです。志望といっても、 「A校」「B校」ではなく「第一志望A校のXコース(FILIERE)」「第二志望A校のYコース(FILIERE)」といった具合になるようです。
次男坊の時はこんな具合でした。
仕事を終えて帰宅、玄関の郵便ボックスを開けると次男坊宛に一通の封書あり。
第一志望のA校からです。「オイ、A校から何か来てるぞ」と次男に封書を渡し、次男が手荒に封を明けました。文面を見て「ウオー」の雄叫びをあげたものです。僕の「ナンだ、ナンだ、どうした」に次男が見せてくれた文面には「あなたのランキングは30位です」とあります。次男の第一志望A校Bコース(FILIERE)は定員わずか12名です。 ランク30番で合格と喜べるのかどうか。次男がいうには、過去のデーターから30位は確実に合格だというのです。上位ランク十数名が別の学校に抜けるので自動的にランクが上がり、最終的には12席以内にすべり込めるというのです。なるほど、その通り、合格になったのでした。
次男に先立つ11年前、長男の時はこう記憶しています。              
CONCOURS COMMUNでのECRIT(筆記試験)では100番でした。ORAL(口頭試問)で大幅に下がり360番台に後退しました。長男の第一志望校とコース(FILIERE)は
定員70名で、長男のランクは140番台でしたが、最終的には繰り上がって70名以内にすべり込んだのでした。
長男の受験年度は、LE  MONDE(ル・モンド)に各CONCOURS COMMUNの席順が実名で掲載されました。確かに360番台に長男の名前があったのでした。
当時、僕は在仏日本人会事務局に勤務していました。事務局ではLE  MONDE(ル・モンド)紙を定期購読していたので偶然に目に止まったのです。LE MONDE紙はファイルをして図書室で会員の閲覧に付します。公共ものです。そこで、シャンゼリゼのキオスクに走って、3部ほど買い込んだものです。CONCOURS COMMUNでの席順が実名で掲載されたのはこの年度だけだったと記憶しています。実名で席順を公表することに批判、 苦情があったのでしょうか。翌年、翌々年、、、、掲載がありませんでした。

長男にはもうひとつ「新聞との縁」がありました。長男はNANCY(ナンシー)のECOLE D’INGENIEUREに学んだのですが、
その卒業式に家内、次男坊(当時12才)、僕の三人で出席したのです。翌日、長男も合流して、家族四人でSTRASBOURG(ストラスブール)に向かいました。NANCY駅でSTRASBOURG方面行を待っていたのですが、プラットフォームのベンチに読み捨ての新聞があったので拾ったのです。地方紙です。 旅先で地方紙を眺めるのは大好きです。どれどれ、とページをめくると昨日の卒業式の模様が文、写真で載っています。写真をつぶさに見ると、会場の中列に家内、次男坊そして僕の三人が並んで座っています。会場の後方には長男が卒業仲間と一緒に立っています。家族全員が一枚の報道写真におさまっているのですね。それで慌てて駅構内のキオスクで掲載紙を2部買い求めたのでした。         
                
さて、子育て体験としての「プレパからグラゼコール入試」については、こんなところで終わりにします。次章では、別の視点からグランゼコールに触れたいと思います。

2019年3月13日    岡本宏嗣  記
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