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APLが減額され異議申し立てをしたところ、CAFから納税証明の提出を要求されているのですが、、、。

質問。2月に「労働許可(サラリエ)申請に直面。CHANGEMENT DE STATUT方式か、INTRODUCTION方式か」で質問させて頂いたものです。
いつも的確なご回答ありがとうございます。
上記のご報告ですがオーナーとの話し合いによりCHANGEMENT DE STATUT方式を取ることになり、本日がconvocationだったので出頭しrécépisséを受け取ってきました。
これから数か月以内に身分変更の申請に至る予定です。

さて今回はこの1月にCAFよりAPL(AIDE PERSONNALISEE AU LOGEMENT/家賃手当)の減額(約120€)を通知され異議申し立てを行ったところ、以下の通知が来ました。

Afin de s'assurer que votre dossier est traité correctement, nous vous adressons des liens afin que vous puissiez nous envoyer les documents suivant :
- avis d'imposition 2017 sur les revenus 2016,
- avis d'imposition 2018 sur les revenus 2017,
- bulletin de salaire d'octobre 2018 uniquement.

減額の原因はおそらくオーナーが学生限度の超過分をPRIMEとしてBulletinに記載したことだと推測します。
昨年11月度のBulletinの提出を求められ提出したところ減額が決定したという訳です。
異議申し立てを裏付ける資料として納税証明を提出してくださいという意味だと受け取りましたが、当方まだ一度も納税をしたことがありません。
フランスでは外国人留学生には3年間税金を課さないと解釈していましたが、誤りでしょうか?
2015年6月から2017年3月までフランスに滞在(学生)し2017年4月から2018年3月下旬まで日本に帰国、再び2018年3月末より現在までフランスに滞在(学生)しています。
前回の滞在中に労働はしていましたが、学生の労働規定を超えてはいませんでした。
また2017年はほぼフランスに居なかったので収入もほとんどありません。このような場合、どのように納税証明(ゼロ申告証明?)をすれば良いのでしょうか?

お答え・見立て。

(1)所得申告をする=所得税を取られる。この等式は正確ではありません。
また、「フランスでは外国人留学生には3年間税金を課さない」でもありません。   
実情はこう見るべきでしょう。                         
外国人留学生(非EU圏留学生)には年間964時間上限の労働時間制限があります。 この制限内での労働収入数字が、「所得税が発生する課税対象額」(REVENU IMPOSABLE)に達することは、まずありません。つまり、所得申告しても所得税はゼロです。ここから、税務局の「所得申告してもらっても税金は取れない、コスト(事務処理経費)だけがかかる」が出てきましょう。こうした税務局側の立場が「フランスでは外国人留学生には3年間税金を課さない」の風説につながっているのではないでしょうか。

(2)文面に「当方まだ一度も納税をしたことがありません」とあります。これは「当方まだ一度も所得申告(DECLARATION DE REVENU)をしたことがありません」でしょう。所得申告(ゼロ申告も含む)をすれば、当然、AVIS D’IMPOTが送付されてきます。 
上記(1)に記したように、労働時間に制限のある外国人学生(非EU圏留学生)によるアルバイト収入では、確実に税額セロの
AVIS D’IMPOTになりましょう。

(3)さて、本題です。

(A)①. フランスでは、過去3年間に遡ってDECLARATION DE REVENUができることになっています。居住区管轄の税務局に足を運んで、2017年度(2016年の収入申告),2018年度(2017年の収入)の遅滞申告を申し出ます。その際、CAFからの手紙を見せて「遅滞申告が必要なこと」を訴えましょう。これを見せないと、上記(1)で記したように「学生さんは所得申告の必要はないよ。ましてや遅滞申告なんて」と門前払いになる事もあり得ましょう。

(A)② AVIS D’IMPOTの発行には少なくとも3か月はかかりそうです。その場合は「BORDEREAU  P.237」という証明書の発行を依頼してみましょう。「BORDEREAU  P.237」は、
2017年度申告〇〇〇〇ユーロ、
2018年度申告××××ユーロ、

といったSITUATION FISCALE(所得の申告状況)証明です。

(A)③ 2017年度申告は2016年1月-12月の1年間の収入申告です。その1年間、アルバイト収入がなかったのであれば、
ゼロ申告です。2-3か月は働いた、であれば、BULLETIN(給与明細)の中のREVENU IMPOSABLE(課税対象額)という数字の
2か月あるいは3か月分の合算額を申告します。申告数字は、BRUT(額面給与数字)でもNET(手取り額数字)でもありません。
2018年度(2017年1月-12月の1年間が対象)についても同様です。BULLETIN(給与明細)は持っていきましょう。

(B)いかなる理由であれ、学生の遅滞申告は受付けない、「AVIS D‘IMPOT」も「BORDEREAU  P.237」も出せない、とされた場合は、DECLARATION SUR L’HONNEUR(自己宣言状)を作成して提出するしかないでしょう。

「私〇〇は、「これこれ」であることを宣誓します」という自己作成の文書です。
「これこれ」の部分が、
○○○○ Euros   pour 2017 sur les revenus 2016,
×××× Euros   pour 2018 sur les revenus 2017,
になります。法的に有効な文書です。
DECLARATION SUR L’HONNEURの書式例(MODELE)はサイトから見つけてください。また、BULLETIN(給与明細)のコピーを添えてください。

(3)日仏租税条約の第20条
日仏租税条約の第20条に「留学生への滞在生活費送金は課税対象としない」があります。また、「奨学金」、研究滞在・調査派遣等に関わる「助成金・援助費・支援金」の 送金も、「2年を超えない範囲で課税対象としない」があります。この非課税条項は 「フランス国外からの送金」向けです。フランス国内でのアルバイト労働収入には適用されません。この非課税条項は、仏・日に限らず仏・A国租税条約」、仏・B国租税条約にもありましょう。それが「外国人学生には税金を課さない」という風説に化けることもありそうです。
2019年3月23日  滞在相談室   岡本宏嗣
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ヴィジターからパスポールタランへ変更申請したのですが、二年近く、、、、。

質問。画家です。パスポールタラン(PT)を申請中です。
約二年前に必要書類をすべて提出し、現在までレセピセを約二年間もらったまま、いつになったら結果がくるのか途方に暮れていた2019年頭、やっとコンヴォカシオンがきました。そちらには追加書類として、昨今の活動履歴と残高証明などを再提出しろとのことでしたので(あちらのせいですが恐らく既に提出している情報が古くなってしまったからでしょう)本日出してきましたら、また3か月分のレセピセをもらいました。果たしてこれはいつ結果が分かるのでしょうか。弁護士を雇って日本の仏大使館から取り直したほうがよっぽどスムーズそうな気がしますが、この状況下でそれをしても良いのでしょうか? 

お答え・見立て。
(1)追加書類の請求があった、とありますから、審査に入った、と見てよいでしょう。可否の決定は近いのではないでしょうか。不可となった場合は、           
①VISITEURを続ける。                             
 ②ENTREPRENEUR/PROFESSION LIBERALEに変更申請する。           
 ③なんとしてもPTであれば、日本の仏大使館でPT・VISA取り直して出直す。       

 いずれかの選択になりましょう。先方から①もしくは②にするよう提案があるかも知れません。
(2)職業は「画家」とありますから「PTの第9項」での申請でしょう。最近のPT  第9項での滞在許可証の発行を見ますと、1年もの、よくて2年もの、が相場になっています。PTは、2016年11月1日付けでスタートした新制度です。スタート当初は「4年もの」が
発行されていました。同じ日付けでスタートしたCARTE DE SEJOUR PLURIANNUELLE(複数年滞在許可証)の代表格で、管轄省の内務省も「4年ものであるぞ。有り難く頂戴いたせ」でした。                       

ところで、2016年11月1日付けでスタートした新制度の政令をよく読んでみると、PTおよびCARTE DE SEJOUR PLURIANNUELLE(複数年滞在許可証)は、「4年を上限とする」であって、1年もの、2年もの、もあり得るのですね。          
 PTの前身COMPETENCES ET TALENTS(P&T)は3年ものと決まっていて、審査担当者のサジ加減で1年もの、2年ものに減年されることはありませんでした。3年ものの固定相場制でした。発行当局(PREFECTURE)も、当初はP&Tの固定相場制を踏襲して「PTは4年」としていたのですが、2017年の後期あたりからから「待てよ、4年は出し過ぎでは」の反省期に入って、とりわけ「PTの第9項」は、1年もの、あるは2年ものの減年変動相場制が採用されるようになったと見ています。                                 
さて、何がいいたいか、です。P&Tが首尾よく出たとしても、1年もの、2年ものの発行にとどまった場合、すぐ更新に迫られます。1-2年で日本に引き揚げるつもりだ、であれば何も申し上げることはありません。5年-10年の長期滞在をお考えであれば、CARTE DE RESIDENTの申請取得につながる筋道をつけねばなりません。
このあたりの情報をしっかりつかんで対応してください。

(3)蛇足です。質問者がVISITEUR滞在、画家であることから、以下の最近例を紹介しておきます。職種は厳密には画家(ARTISTE  PEINTRE)ではありませんが、美術系(BEAUX-ARTS)のARTISTEです。VISITEUR滞在を5年間消化してCARTE DE RESIDENT(CDR)を取得。現在は自由に美術作家活動を展開しています。5年間の滞在の中途で(確か滞在3年目あたりで)PROFESSION LIBERALEへの身分変更を模索していましたが、それを断って、VISITEUR滞在を貫ぬいて、CDRにこぎ着けています。VISITEUR滞在からCRDへ。もっとも経費負担が軽く済む道筋と見ていますが、残念ながら、ほとんど理解されませんね。

2019年3月13日  相談室  岡本宏嗣

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第19回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第19章)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第19回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第19章)

プレパ(PREPA)からグランゼコール(GRANDES ECOLES)入試へ(2)

フランスの大学は国立で入学試験はない。合格率が80%を越える共通試験BACCALAUREAT(バカロレア、通称BAC)にパスすれば大学登録資格がある。授業料は無料同然。ついでにもう一つ。医学部進学も入試なし。授業料も無料同然。

しかし、考えてもご覧じろ。こんな美味しいハナシが現実にまかり通るものでしょうか。
長男の学年が上がるにつれ、周辺から進路進学の実情、実態が耳に入ってきました。
BACさえパスすれば大学に登録はできるが、1年生から2年生に進級できる学生は30%前後。3年間でスンナリとLICENCE(リサンス/学士、3年教程)を取得する学生は
20%見当。3年教程のところを4年もしくはそれ以上をかけて取得する学生も含めてもLICENCEにたどり着くのは30-40%。多くの学生が脱落、あるいは進路コースの変更に追い込まれる。これがパリ大学での実情、実態である。(注1)(注1bis)

また、弁護士、教員、研究者など、グランゼコールGRANDES ECOLESにはない職業・職種の資格取得コースに進まないとグランゼコールGRANDES ECOLES出身者の後塵を拝する、つまりは、まともな就職にきわめて不利である。
さらに、さらに。大学に行くよりも「BAC+2年教程のBTS(BREVET DE TECHNICIEN SUPERIEURE)コース、同じく「BAC+2年」教程のDUT(DIPLOMES UNIVERSITAIRES DE TECNOLOGIE)コースの方が、年限が2年で短いこと、「学位」ではなく「職業資格DIPLOME PROFESSIONNEL」なので、就職にはツブシが効く、といった情報です。(注2)

(注1)日本ではソルボンヌ(SORBONNE)大学が有名です。ソルボンヌの名が付く大学は3校あります。パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ(PANTHEON SORBONNE)、
パリ第三大学ソルボンヌ・ヌーヴェル(SORBONNE NOUVELLE)、パリ第四大学ソルボンヌの3大学です。いずれも文系です。                     ソルボンヌ(SORBONNE)大学は、日本のように文・法・政・経・商、、、などの文系学部・学科から理・工・医系までを揃えた総合大学ではありません。もちろんソルボンヌ3校に入試はありません。但し登録希望者が定員をオーバーする人気の学部・学科では、 定員の一部はリセ(高校)とBACでの成績から、残りはクジ引きで、といったことになっているようです。

(注1bis)2018年1月から大学組織の大幅改定がスタートして、SORBONNE UNIVERSITES
(ソルボンヌ大学群)が登場しています。
パリ第二大学(ASSASアサス)、パリ第四大学(PARIS SORBONNE)、パリ第六大学
(PIERRE ET MARIE CURIE(ピエール・エ・マリ キュリー)がグループ化してSORBONNE UNIVERSITESの呼称になっています。
(2019年3月27日 補記)

(注2)BTSには119職種、DUTは42職種のコースがあります。法、経、商、工、 芸術、医療、サービス、、、、。ありとあらゆる職種分野の資格コースが網羅されています。BAC+2年の教程ですが、医療治療系は3年コース。
BTS登録は、毎年12-3万人、DUT登録5万人強といったところ。大学(UNIVERSITE)のLICENCE(学士、3年教程)に登録する学生は20万人強ですが、
途中からBTS、DUTコースに変更する学生も相当数いる模様です。

               **
また、医学部進学についても厳しい情報が入ってきました。長男の小学校時代の友だちに医者の息子がいました。中学・高校は別でした。その旧友と久々に出会って、現状と今後の身の振り方の話になったのですが、BACを終えた後、パリ大の医学部ではなくベルギーの大学の医学部に行くつもりだというのです。パリ大の医学部では医進教程に進めそうもないというのです。
医学部に登録はできても、2年目に振るい落としの大きな試験がある。(注3)(注4)    この試験に落ちても翌年もう1回挑戦できるが、2回失敗したら進路コースを変更せざるを得ない。そこで、パリを避けて地方の大学の医進コースに登録する学生も多い。同じ フランス語圏ベルギーの大学医学コースにフランス人学生が殺到してベルギー側が悲鳴をあげている、といった情報も入ってきました。
長男も次男も医者になる気はないので、直接には関係のないことなのですが、美味しい ハナシが転がっていないことを痛感したのでした。

(注3)大きな共通試験とはPACES(PREMIERE ANNEE CONCOURS AUX ETUDIANTS DE SANTE)。試験にパスした学生は、その点数によって、医科コース、
歯科コース、薬学コース、助産科コースに進む、とされています。実際にパリ大医学部(CENTRE HOSPITALIER UNIVERSITAIRE DE PARIS)で専門医師資格を取得した A医師に医学部の事情を聞いたことがあります。A医師の説明によればこうです。PAGESパス後も教程の節目、節目に試験があり、初年度に2000人見当いた登録生で、9年後に一般医師資格にたどり付いた学生は100人見当、一般医師資格を得た上で、さらに2年間の教程を必要とする専門医資格の取得者は100人見当のうちの約20人ということでした。
一般医はMEDECIN- GENERALISTE、専門医はMEDECIN –SPECIALISTEです。  専門医は一般医も兼ねることができます。

(注4)「La Gifle 」(ラ・ジフル/頬打ち)という映画がありました。1974年Claude PINOTEAU(クロード・ピノト)監督の作品です。40年余も前の映画です。主人公の医学生役 イザベル・アジャニ(Isabelle Adjani)、父親役リノ・ヴェンチュラ(Lino Ventura)はリセの歴史の教員。父娘家庭です。母親役のアニー・ジラルド(Annie Girardot)は、家庭を離れ英国で田園生活という設定。物語は医学部登録の19歳の娘イザベル・アジャニが現在のPAGESに相当するテストに失敗することから始まります。ECRI(エクリ/筆記試験)でヤマが外れたのでしょう、一行も書けない白紙答案で試験会場を去るイザベル・アジャニ。学友としてフランシス・ペラン(Francis Perrin)、ナタリー・バユ(Nathalie Baye)、リシャール・ベリー(Richard Berry)など、今では名優となっている面々が、 ういういしい顔をのぞかせています。
1974年公開当時はテストに失敗した女子学生の挫折、その家庭のトラブルを描いた思春期もの、といった印象でした。このテストが医進への可否が決まるPAGESであったことを知ったのは遙かに後年のことです。これまでにTV放映で4-5回は観ています。  「これがPAGESというものか」と認識したのは1990年代、長男が受験期に入った時期だったでしょうか。なお、同監督の作品
「La Boum(ラ・ブーム」(1980)、「La Boum 2(ラ・ブームその2)」(1982)は思春期の子たち(Adolescents)の生態をコミカルに描いた映画で一大ブームを引き起しました。

さて、プレパからグランゼコールの入試へ、です。
長男がプレパ生だった時期は「そもそもプレパって何だ。グランゼコールって何だ」が
あって今一つピンとこなかったのですが、次男の時期には「プレパは半ば気力勝負、半ば体力勝負」と思い知ったものです。学校での授業時間が午前8h-12hの4時間、午後13h-18hの5時間、計9時間。帰宅して夕食後に3-4時間。就寝は午前3時頃。
起床は7h頃。寝不足で不機嫌そのもの。朝食はほとんど摂らず、手の平に指で何やらを
描くオマジナイのような動作をして、7h30頃には飛び出して行く日々でした。
プレパ校へは歩いて25-6分。窓から見送ると、大股歩きの後ろ姿ですが、学校が近づくと走っていることでしょう。7h55分には始業準備のベルが鳴るそうですから。
                              ***

僕には「遠くの名門校より近くの二番手校でよい」があります。東京生まれ、東京育ちの僕自身の小・中学校の通学体験から来ています。小学校ではクラス一の遠距離通学生でした。中学校も越境入学で遠距離通学。満員のバスにゆられ、その後電車に乗り換えて2時間見当の通学時間でした。それで中三の一学期に体をこわして二学期から近所の中学校に転校した経緯があります。高校受験を控えた中三の2学期から、いきなり、歩いてわずか5分の通学になったのでした。この長距離通学の体験がトラウマになっているのでしょう、「通学で体力を消耗させるな、エネルギーを浪費させるな」があるのですね。次男坊が通ったプレパ校は、プレパHENRI IV(アンリ4世)、 プレパLOUIS LE GRAND(ルイ偉大王)などに比べれば二番手プレパでしたが、それでよい、一向に構わない、歩いて25-6分は体力温存、維持に最適、と思っていました。
プレパでは「1日に少なくとも12時間の学習が必要、学校での8~9時間+自宅で4~3時間=12時間学習、12当9落が相場とされていました。
繰り返します。プレパは気力と体力の勝負です。
              
                      *** 

学校事情、進学事情を「知らない、分かっていない」時期、ある日本人のお母さんがこういい放ちました。「ポリテクといっても500人も採るんですよ。(あなたの息子さん)お入れなさいよ」。言外に「ウチの子も入れるつもりです」がうかがわれます。         「ポリテクの定員500人を埋める秀才はフランス全土にゴマンといるでしょう。ウチの息子がその500人の中に入れるとは到底思えません」
後年知ったことですが、ポリテクの定員500人というのは1番から500番までが合格ということではサラサラにないのでした。コース(FILIERE)別に定員数があって、近年の数字では、
MP OPTION INFORMATIQUE(数学物理・情報工学)   102 名 
MP OPTION PYSIQUE ET SCIENCE INGENIEURE
(数学物理・物理系技術)                  80 名 
PC (PHYSIQUE CHIMIE 物理・化学)             130 名
PSI (PHYSIQUE SCIENCE INGENIEUR(物理系技術     57 名
            .                。
                            。
                            。
                                     計 415 名
,
各コースの合計が年度によって400-500名見当ということなのでした。
また、プレパ生なら誰もが自由に挑戦出来るわけではなく、自ずと受験資格の「枠組み」があることも後年に知ったことです。CLASSE ETOILE(STAR  CLASS)に入っていることです。理系の場合はHypo –Khagne(イポ・カーニュ・プレパ一年生)、Khagne(カーニュ・同2年生)。文系はHypo-Taupe/Taupe(イポ・トープ/トープ)の呼称があります。プレパ界のアルゴ(ARGOT隠語)です。アルゴといえば、5/2(CINQ DEMI・ サンク・ドウミ)を息子たちから教えてもらいました。
ポリテクニシャン(POLYTECNICIEN)を{X}(イックス)と呼びます。プレパは2年制
ですが、初回の試験に失敗して、もう1年、プレパに在籍する。このプレパ3年生を
5/2(CINQ DEMI/サンク・ドウミ)というのです。{X}を{3}から{2}に積分すると9/2―4/2=5/2(CINQ DEMI/サンク・ドウミ)になります。プレパ2年でパスすべきところを3年を費やした、ということです。実際には、プレパ3年生の総称になっています。但し、誰もが5/2(CINQ DEMI)=プレパ3年生に残れるわけではありません。GRANDES ECOLESの入学試験で、「希望校に惜しくもハズレた。点数がわずかに及ばなかった。もう1年やれば、、」の惜敗組です。ちなみに、わが息子二人とも
5/2(CINQ DEMI/サンク・ドウミ)、プレパを3年間やりました。

                                             ***

グランゼコールは、ECOLE D’INGENIEURE(技術系)とECOLE DE COMMERCE(商業系)に大別されます。この辺りのことは、第12回・12章で触れました。ここではECOLE D’INGENIEURE(技術系)の入学試験についてです。
単独で入試を実施するグランゼコールは
ECOLE POLYTECNIQUE、ENS(ECOLE NORMALE SUPERIEURE)/ESPCI, ECOLE CENTRALE―SUPELEC。
その他は、CONCOURS COMMUN(グループ共通試験)方式です。
代表的なCONCOURS COMMUNは、
CONCOURS COMMUN MINES-PONTS/MINES-TELECOM
CONCOURS COMMUN DES( INSTITUTS NATIONAUX) POLYTECHNIQUES CONCOURS COMMUN e3a

一つのグループにA校、B校、C校、、、、、複数校のECOLE D’INGENIEURE(技術系)が加入しています。受験生は第一志望から第十志望(年度によって異なりますが)までを 提出。試験の結果点数を見て、志望順位を調整出来る仕組みです。志望といっても、 「A校」「B校」ではなく「第一志望A校のXコース(FILIERE)」「第二志望A校のYコース(FILIERE)」といった具合になるようです。
次男坊の時はこんな具合でした。
仕事を終えて帰宅、玄関の郵便ボックスを開けると次男坊宛に一通の封書あり。
第一志望のA校からです。「オイ、A校から何か来てるぞ」と次男に封書を渡し、次男が手荒に封を明けました。文面を見て「ウオー」の雄叫びをあげたものです。僕の「ナンだ、ナンだ、どうした」に次男が見せてくれた文面には「あなたのランキングは30位です」とあります。次男の第一志望A校Bコース(FILIERE)は定員わずか12名です。 ランク30番で合格と喜べるのかどうか。次男がいうには、過去のデーターから30位は確実に合格だというのです。上位ランク十数名が別の学校に抜けるので自動的にランクが上がり、最終的には12席以内にすべり込めるというのです。なるほど、その通り、合格になったのでした。
次男に先立つ11年前、長男の時はこう記憶しています。              
CONCOURS COMMUNでのECRIT(筆記試験)では100番でした。ORAL(口頭試問)で大幅に下がり360番台に後退しました。長男の第一志望校とコース(FILIERE)は
定員70名で、長男のランクは140番台でしたが、最終的には繰り上がって70名以内にすべり込んだのでした。
長男の受験年度は、LE  MONDE(ル・モンド)に各CONCOURS COMMUNの席順が実名で掲載されました。確かに360番台に長男の名前があったのでした。
当時、僕は在仏日本人会事務局に勤務していました。事務局ではLE  MONDE(ル・モンド)紙を定期購読していたので偶然に目に止まったのです。LE MONDE紙はファイルをして図書室で会員の閲覧に付します。公共ものです。そこで、シャンゼリゼのキオスクに走って、3部ほど買い込んだものです。CONCOURS COMMUNでの席順が実名で掲載されたのはこの年度だけだったと記憶しています。実名で席順を公表することに批判、 苦情があったのでしょうか。翌年、翌々年、、、、掲載がありませんでした。

長男にはもうひとつ「新聞との縁」がありました。長男はNANCY(ナンシー)のECOLE D’INGENIEUREに学んだのですが、
その卒業式に家内、次男坊(当時12才)、僕の三人で出席したのです。翌日、長男も合流して、家族四人でSTRASBOURG(ストラスブール)に向かいました。NANCY駅でSTRASBOURG方面行を待っていたのですが、プラットフォームのベンチに読み捨ての新聞があったので拾ったのです。地方紙です。 旅先で地方紙を眺めるのは大好きです。どれどれ、とページをめくると昨日の卒業式の模様が文、写真で載っています。写真をつぶさに見ると、会場の中列に家内、次男坊そして僕の三人が並んで座っています。会場の後方には長男が卒業仲間と一緒に立っています。家族全員が一枚の報道写真におさまっているのですね。それで慌てて駅構内のキオスクで掲載紙を2部買い求めたのでした。         
                
さて、子育て体験としての「プレパからグラゼコール入試」については、こんなところで終わりにします。次章では、別の視点からグランゼコールに触れたいと思います。

2019年3月13日    岡本宏嗣  記

第18回 所得申告説明会のお知らせ(2018年度(1月-12月)所得の申告)

第18回 所得申告説明会のお知らせ(2018年度(1月-12月)所得の申告)
フランスでは、1年間(1月-12月)の所得を、翌年5月中旬締め切りで申告します。2018年1月-12月の1年間の収入を2019年5月中旬(インターネットでの申告は6月上旬)締め切りで申告しなければなりません。
2019年1月から源泉徴収方式(PRELEVEMENT  A LA SOURCE)がスタートしています。  また、2018年度は無税年(UNE ANNE BLANCHE)とされていますが、所得申告は必要です。
源泉徴収方式(PRELEVEMENT A LA SOURCE)の実施によって所得税の支払い方法は変わりましたが、課税の仕組みは変わっていません。
今回初めて申告される方、申告経験はあるものの、より正確に知りたい方は是非ご参加ください。
日時  5月4日(土) 15h00-17h30頃 (変更の場合はお知らせします)
会場 日本人会 9  Avenue Marceau 75116 PARIS
参加資格 当会会員
参加費(配布資料代) 20ユーロ
要予約 TEL 01 4723 3358 
FAX 01 4723 0576            
メール:nihonjinkai@free.fr
             *
所得申告の用紙の種類、記入の仕方、税額の算出など、ケース別(SALARIE/ VISITEUR/ ETUDIANT / BNC・PROFESSION LIBERALE ・AUTO(MICRO)-ENTREPRENEUR)に説明します。
この説明会に参加した上で、なお個別事情のある方は個別相談に応じます。予約は説明会終了後に受付ます。 
                  *
所得申告をする=所得税を取られる、は必ずしも正確な理解ではありません。
申告の仕組みをよくつかんで適切に対処する必要があります。滞在許可証の更新、滞在身分の変更、   10年カードの申請・取得などにも直接関係してきます。フランスに長・中期滞在を予定している方に  参加をお勧めします。

滞在相談室   岡本宏嗣

サラリエから家族呼び寄せに身分変更できるのでしょうか

質問。去年、日本人の夫と妻の私、同時にサラリエビザを取得しました。
私は諸事情により、昨年11月末に仕事を辞めているのですが、子どももまだ小さく、体も丈夫な方ではないので、35時間/週働くサラリエという身分は厳しいと思い身分変更したいと思っています。現ビザの期限は今年5/31までです。
この場合、regroupement familial と vie privee et familial のどちらになるのでしょうか?
家族呼び寄せならば一旦帰国する必要があるのでしょうか?

お答え・見立て。文面から「2018年6月1日―2019年5月31日」の1年間有効のSALARIE VISAを所持されていると思います。「昨年11月末に仕事を辞めている」とありますので、2018年6月―11月までの6か月勤務で辞めたということのようです。1年間なんとかガンバレば、更新時に「4年もの」のサラリエ滞在許可証が出て、今後の身の振り方に融通が効いたのですが、健康上の理由、育児の問題となれば仕方がありませんね。

(1)健康上の理由、育児に専念したい旨を申し述べて、VIE PRIVEE ET FAMILIALE(VPF)への滞在身分の変更を申し出てみてください。適用法令は、VPFが発行される11ケースの7番目、「家族的事情による」です。CESEDA(外国人滞在管理法L 313-11-7°です。チョット無理かな、がありますが、これが通れば解決です。                              

 (2)上記(1)が不可とされた場合は、こうなる可能性が高いと見ます。       

(a)「あなたは、VISITEURにしか身分変更できない」とされる場合です。夫はSALARIE, 妻と子どもはVISITEUR(扶養家族)というのは、きわめて一般的な「定型」ケースだからです。

(b)「VISITEUR」ではなく、あくまで「VIE PRIVEE ET FAMILIALEが欲しいのであれば、REGROUPEMENT FAMILIAL(RF)の手続きをしなさい」とされましょう。この場合は、   
①「呼び寄せ主の夫」に少なくとも18か月以上の滞在実績が必要です。RF申請は18か月滞在を消化した以降の時点になります。

②呼び寄せられる妻・子どもは日本へ帰国しなければなりません。RF手続はフランスに滞在している夫(妻)が「日本にいる妻(夫)・子どもをフランスに呼び寄せて、家族が「再び一緒になる」(REGROUPER)、ということです。RF手続きで呼び寄せられた妻(夫)にはVPFが発行されます。

文面に「家族呼び寄せならば一旦帰国する必要があるのでしょうか?」とあります。帰国しないでフランスに滞在したままで「RF申請する」、これをRF SUR PLACE(現地呼び寄せ)といいます。その申請資格はこうです。
例えば、SALARIEなど労働資格のある滞在許可証を所持しているAがいる。一方、学生滞在、VISITEUR滞在など労働資格のないあるいは部分的にしか労働資格がない滞在許可証の所持者Bがいる。このA、Bがこの地フランスで知り合って結婚した場合です。始めにA、Bそれぞれのフランス滞在ありき、です。次いでA、Bの結婚ありき、です。
既婚カップルはRF SUR PLACE(現地呼び寄せ)資格を欠いています。

2019年3月5日(火曜日)  相談室   岡本宏嗣
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