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報告です。先日 Visiteur から CDR-UE の変更のやり方を Préfecture に聞きに行きましたところ、、、。

こんにちは。報告です。2018年12月21日付ブログ記事「パリ在住、VISITEUR滞在です。CARTE DE RESIDENT(CDR)が発行される条件について質問です」に私の場合を報告します。
私も同じシチュエーションにあります。ただし Nanterre 92 です。
先日 Visiteur から CDR-UE の変更のやり方を Préfecture に聞きに行きましたところ、まず、そんな話は聞いた事がないと言われました。
当方が Préfecture のサイトに CDR-UE 変更要項に Visiteur は Cas général に該当すると書いてある旨をサイトのコピーを見せて説明したところ、その紙を持って他の同僚のところへ聞きに行ってくれました。
しばらくすると、その同僚もわからないのでセクションのシェフに聞いてみるとのことです。またしばらく待つと分厚い法律のファイルと共に戻ってきて、「シェフが可能だと言っている」との事、ただ私はやった事がないので今から調べましょう、ということになり、その法律のファイルを調べながら必要な書類を書き出して、そして、C.I.R は持っているかと聞かれました。
私は Visiteur なので持っていないと言うと Attestation を1枚書いてくれて、「これを持って OFII に行って C.I.R を申請して来て」とのことです。通常 Visiteur に C.I.R は出ないので大丈夫か聞くと、Attestation に Préfecture のスタンプと共に、一筆、Vu avec ◯◯ (セクションのシェフの名前)と書いてくれました。

また、Visiteur なら Avis d'impôt は無い筈だから過去5年の銀行口座を持って来て見せるようにと言われ、それも Attestation に追記されました。

後日 OFII に C.I.R の申込みを郵送したところ、Convocation が届いたので行って来ました。
すると案の定、面接直前に私の Carte de séjour を見て、「Visiteur にはC.I.R は出ない」と言われました。
かくかくしかじか説明して Préfecture の Attestation を見せると、一転「そういうことなら出します」となりました。
また Visiteur だからセキュは無いと言うと、この C.I.R を持ってセキュに行けば加入できるので行くようにと言われました。
非常に感じの良い方だったので色々わからないことを沢山質問したのですが、92では C.I.R がないと複数年の Carte de séjour は基本的におりない。先年より義務化されている、とのこと。また、自分のシチュエーションはやっぱり珍しいのか聞いたところ、まあ珍しいけど色々な人がいてみんな違うから…でも C.I.R があればちゃんと物事が進むようになるから、良かったわね、と。
Visiteur だから Avis d'impôt は無し、C.I.R を持ってセキュに加入、等々、Paris の話とは大分違うなあと思い、他の方の参考になればと思い書かさせて頂きました。
現在の Visiteur の carte de séjour が来年の11月まであるので CDR-UE の申請はまだできませんが、その際にはまたご報告いたします。

報告にお礼し。そしてコメントを加えます。                  
NANTERRE PREFECTURE(92/ HAUTS DE SEINE県)での体験報告、ありがとうございます。日頃から滞在許可証の取り扱いはPREFECTURE(県庁)によって異なると繰り返していますが、ここにもその違いがでていて、とても参考になります。
重ねてありがとうございます。ここでは、もう少し分け入って見たいと思います。                                   
(1)CDRとCDR―UEです。①CDR(CARTE DE RESIDENT)と②CDR―UE(CARTE DE RESIDENT DE LONGUE DUREE -UE)に実質的違はなく、同じと見て不都合はないでしょう。①は1984年、ミッテラン社会党政権下で設置された10年カード、②は2006年サルコさんが内務大臣だった時期に設置された10年カードです。①はフランス独自のもの、②はEU共通ルールの適用によるもの。 「途絶えることなく連続して少なくとも5年以上の滞在者に発行される」と法文で規定CESEDA L314-8条)されているのは②です。パリPREFECTUREが発行しているのは、①だったり②だったり、でバラツイテいましたが、最近は法文規定に従って②が多くなってきているようです。 ①、②のどちらかを当人に選ばせているパリ近郊県のPREFECTUREもあります。

(2)VISITEURのCDR-UE(CDR)申請資格。                  
「途絶えることなく連続して少なくとも5年以上の滞在者に発行される」と規定したCESEDA L314-8条には、「ただし、以下の滞在者は除く」 として、「学生」、「TRAVAILLEUR TEMPORAIRE」、「STAGIAIRE」、「PASSERPORT TALENT(PT)の第3項「SALARIE EN  MISSIONおよびその家族(PT FAMILIAL)」が申請資格がない滞在者として列挙されています。VISITEURは資格のない例外(CAS EXCEPTE)リストに入っていません。つまりは、報告文にある「CAS GENERAL」に入っているということです。

(3)CIR(CONTRAT D’INTEGRATION REPUBLICAINE)について。       
通常、CIRはOFII(移民局)で入国時に受けます。(a)「共和国の成り立ちとその意義」、(b)「共和国市民としての生活上の心得」の両講義を受講します。(a)、(b)それぞれの受講証明が発行されます。(c)フランス語力についてはテストがあり、合格の場合は合格証明が発行されます。不十分と判定され太場合は、400時間学習を上限に、100時間、200時間、、、などの学習時間が申し渡されます。以上の(a)(b)(c)がCIRです。 CESEDA L314-2条には「CDR(CDR-UE)初回申請者にはCIRを課すことがある」とされていますが、パリPREFECTUREの場合は省略されることが多いようです。 通常、VISITEUR滞在者には入国時にCIRが課されません。従って、CDR(CDR-UE)を申請する際に課してもよいようなものですが、当室の相談者でCIRが課された例はこれまでにありません。あるいはOECD加盟国の国籍者は省略ということなのかもしれません。NANTERREは、申請者の国籍に関係なく実直にCIRを課すということでしょう。                                                                  

(4)もう一つ、CESEDA L314-2条には「人物調査」が記されています。「PREFECTUREは申請者が居住しているMAIRIE(市(区)役所)に人物鑑定を依頼することがある。鑑定依頼から2か月を経てMAIRIEから報告がない場合は当人に問題はないものとする」という規定です。パリPREFECTUREについていえば、居住区MAIRIEから人物鑑定に呼び出された例は、SALARIE、PROFESSION LIBERALE、VISITEURのいずれにもありません。VERSAIILES(78/YVELINES県)ではVISITEUR滞在者が居住市役所から鑑定に呼び出された事例があります。心理カウンセラーのような人から様々な質問があり、最後に「あなたのフランス語力は少々弱いですが、PREFECTURTEには問題ない、と報告しておきます」となったといいます。実直なNANTERREのことです。申請後に「人物鑑定の呼び出し」はありそうですね。

⑤報告文面に「Visiteur なら Avis d'impôt は無い筈だから過去5年の銀行口座を持って来て見せるようにと言われ」とあります。ここがパリでは「5年分のAVIS D’IMPOTを提示しなさい」になるのでしょう。2018年12月21日付ブログに記したように、単身滞在者は「家族指数が1」ですから「少なくとも年間SMIC相当の自己財源」の申告で
所得税が発生します。なお、パリ近郊のある県のPREFECTUREでは「前年度のAVIS D’IMOT」のみの提出、またNANTERREのようにAVIS D’IMOTは一切問わない県庁もあるようです。

(5)ASSURANCE MALADIE DE SECURITE SOCIALE(SECU)
VIUSITEURが加入できるASSURANCE MALADIE DE SECUはPUMA(旧CMU-B)
です。保険料は、                              
(年間収入―9807)X 8%=年間保険料(年2回払い)(単位ユーロ)です。
年間収入が9807ユーロ以下ということになると、保険料がゼロになります。自己財源で滞在するVISITEURが低所得者向けの救済制度、福祉制度を利用するのはケシカラン。これがパリのPREFECTUREの立場です。年間1000ユーロ見当のと保険料を払っている場合はお叱りを受けていないのですが「いずれにしてもPUMA(旧CMU-B)加入は避けておいた方が無難」の風潮です。  そうした救済制度、福祉制度の利用には一向に無頓着なPREFECTUREもあるようです。NANTERREも無頓着なPREFECTUREの一つかもしれません。

コメントが長くなりました。NANTERREでの今後の進展を「その際にはまたご報告いたします」とあります。ぜひ、ぜひ、お願いいたします。

2018年12月28日(金) 相談室  岡本宏嗣
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再就職先が決まっていない場合の滞在許可証更新に関する質問です。

質問。
私はストラスブール在住(管轄Bas Rhin)、2014年より市管轄下の音楽院で勤務しております(CDD 1年更新, temps complet)。契約は毎年、9月1日ー8月末で、現在の滞在許可証は2019年8月末まです。職場の音楽院より、市庁との取り決めで、契約を5年以上延長できないといわれており、来年8月末以降、新たに仕事を探すつもりなのですが(アルザスにこだわらずフランス国内で)、許可証の期限がタイトすぎて悩んでおります。上記の状況を鑑みて、質問は2点です。

①2019年8月31日の時点で、再就職先が決まっていない場合「職探し中」として許可証を申請することになりますが、少なくとも数ヶ月のレセピセは一般的に出るのでしょうか(そもそも8月末に契約切れで、許可証がそれまでしかないというのは、帰国準備としても無理があると思うのですが)?
②8月末を待たず、現在の契約書をもとに年始か春頃、せめて1年のPasseport talent profession artistique et culturelleが欲しいと、申請してみることは可能でしょうか?  プレフェクチュールで現在の許可証が交付された際、担当職員は許可証の種類を決めたのはDireccte Grand Est UT67なので、そこへ詳細を聞いてみてと言われました。
参考までに、これまでの許可証交付歴は以下です。                  
2018年10月19日ー2019年8月31日travailler temporaire(carte de séjour temporaire)
2017年9月19日ー2018年10月18日Passeport talent profession artistique et culturelle(carte de séjour pluriannuelle)
2016年9月19日ー2017年9月18日salaire(carte de séjour temporaire)
2015年9月1日ー2016年8月31日salaire(carte de séjour temporaire)
2015年4月1日ー2015年8月31日travailler temporaire(carte de séjour temporaire)
これ以前は学生ヴィザでした。以上、どうぞよろしくお願いを申しあげます。

お答え・見立て。

(1)CESEDA(外国人滞在管理法) L313-10条によれば、「SALARIEの場合は、「失業手当の支給期間」の滞在を認める」とされています。これは、2016年11月にスタートした新規定です。それ以前の同条では「1年」でした。質問者Aさんの現在の滞在身分は、「SALARIE」ではなく「TRAVAILLEUR TEMPOLAIRE」(TT)とあります。TTでも適用されると見ます。旧規定では、  
①1年、ポンと更新してくれる。                          
②3か月のRECEPISSE発行。3か月後に「まだ仕事が見つかっていません」で、また3か月のRECEPISSE発行。3か月ごとに計4回のRECEPISSE発行方式。                  
 PREFECTUREによって①方式だったり、②方式だったり、でした。         
新規定ではどういう処理になるのか、よくわかりません。最近の報告では「1年ポンとくれそうです」。新規定が徹底していないPREFECTUREなのかもしれません。  

 (2)分かりません。Passeport talent (PTと略記)―profession artistique et culturelle(PACと略記)は、PTの第9項です。CESEDA L313-20条が適用されるハズです。同条によればDIRECCTE(ここではDireccte Grand Est UT67)の許可取付けは不要。PREFECTURE滞在許可担当セクション独自の判断で発行できるハズです。ただし「8月末を待たず、現在の契約書をもとに年始か春頃」は変則的なので可・不可が分かりません。CESEDA L313-20条(PT関連条項)の後半にこうあります。

L'activité professionnelle salariée ayant justifié la délivrance de la carte prévue aux 1°, 2°, 3°, 4°, 9° et 10° du présent article n'est pas subordonnée à la délivrance de l'autorisation de travail prévue à l'article L. 5221-2 du code du travail.
(PTの1°, 2°, 3°, 4°, 9° et 10°はDIRECCTEの労働許可取付けを必要としない)。
PREFECTUREの窓口で法規定を示して、迫ってみたらいかがでしょうか。

2018年12月22日 相談室 岡本宏嗣

学生滞在許可証の更新が却下、PACS後のビザについて質問です.

質問。私は学生ビザでパリ在住。現在6年半目です。
最後の学生ビザが去年の11月一杯、そしてビザ更新のランデブーが今年の6月にありましたが、その際に色々あって学校の単位が足りず、学生ビザの更新を断られました。
10月の頭にプレフェクチュールから手紙が来て、こういう理由であなたの学生ビザ更新を断ります、と書かれていましたが、いつまでにフランスを出て行けとは書いてありませんでした。
ビザのこともあり、去年の12月から一緒に暮らしているパートナーと11月にPACSしました。色々と動き、来年の2月にプレフェクチュールと、初めてのビザ申請という項目でランデブーを取れました。(学生ビザからの身分変更は認められませんでした)

ランデブーが取れて安心していたのですが、最近義理の弟が外人とパックスしたのですが、ビザの身分変更更新はすぐには認められず、今現在どうなるかまだプレフェクチュールが決めかねているというニュースを聞き、すごく不安になりました。
私の場合、ビザを貰える可能性は低いのでしょうか?

お答え・見立て。

(1)「いつまでにフランスを出て行けとは書いてありませんでした。」です。滞在許可証の更新が却下された場合、 (a)「更新は認められません」の「却下通知(のみ)」の場合、           
(b)「却下通知+フランス退去勧告付記」の場合、
この二通りがあります。質問者Aさんは(a)だったということです。

(2)「初めてのビザ申請という項目でランデブーを取れました。(学生ビザからの身分変更は認められませんでした)」を正確に書き直すとこうなりましょう。「初めてのVISA申請という項目でRDVがとれました。(学生身分の滞在許可証からPACS締結によるVIE PRIVEE ET FAMILIALEへの身分変更は認められませんでした)」。      Aさんは学生滞在許可証の更新が却下されています。国外退去勧告は付記されていなかったものの、本来は、日本へ帰国して、在日フランス大使館で新規にVISAを取り直して来るべき、なのです。そこを「日本へ帰国して新規にVISAを取り直すのではなく、現地でVISAを出す」。これをVISA DE REGULARISATION といいます。イレギュラーな状態をREGULARISER(正常化する)ということです。「現地VISA」(VISA SUR PLACE)といってよいでしょう。340ユーロ取られます。申請時に前金50ユーロ、審査を経て「現地VISA」発行時に残額290ユーロ。TIMBRE FISCAL(印紙)払いです。 却下の場合は前金50ユーロは払い戻されない、とされています。そして、PACSによる滞在許可証 VIE PRIVEE ET
FAMILIALEの発行税が269ユーロです。

(3)「私の場合、ビザを貰える可能性は低いのでしょうか?」。          
文面に「去年(2017年)の12月から一緒に暮らしているパートナーと(2018年)11月にPACSしました。」とあります。パートナーはフランス国籍ですね。①共同生活が1年以上あること。②PACSを交わしていること。この2点を立証して、それが確認されれば審査をパスするのではないでしょうか。VISA DE REGULARISATION, そして滞在許可証VIE PRIVEE ET FAMILIALEが発行されるのではないでしょうか。

最後に。 VISAと滞在許可証の誤用あります。VISAは入国の合法性、滞在許可証は滞在の合法性に関わるものです。

2018年12月22日 相談室  岡本宏嗣

パリ在住、VISITEUR滞在です。CARTE DE RESIDENT(CDR)が発行される条件について質問です。

質問。パリ在住、VISITEUR滞在です。CARTE DE RESIDENT(CDR)が発行される条件について質問です。
この秋に滞在許可証の更新を終えて5年目の滞在に入ります。次回の更新では5年間の滞在が
終了して6年目になります。それで、今回の更新手続の際に、来年、CDRの申請が出来るかどうか担当者に聞いたところ「出来る」の返事を得ました。
5年間のAVIS D’IMPOSITION
ASSURANCE MALADIES 
LETTRE DE MOTIVATION
の3点が必要と紙に書いてくれました。
AVIS D’IMPOSITIONは税額がゼロでもよいのかと担当者に詰めたのですが、答えられない、という返事でした。ASSURANCE MALADIEは、セキュリテ・ソシアルでも民間保険でも保険として有効であれればよい、の答えでした。そこで質問です。VISITEUR滞在の場合、
(1)過去に、AVIS D’IMPOTの税額がゼロでもCDRが発行されている例はあるでしょうか。
(2)AVIS D’IMPOTは、来年のCDR申請時点で3年分しか提出できません。5年分でなくとも発行された例はあるでしょうか。
(3)健康保険についてはセキュリテテ・ソシアルは不可と聞いていましたので、これまで民間保険を提出していました。今年は別の事情からセキュリテ・ソシアルに加入したので、民間保険とセキュリテ・ソシアルの両方を用意していたのですが、セキュリテ・ソシアルでもよい、という返事でした。過去の例からの判断をお願いします。

お答え・見立て。
(0)質問へ直接お答えする前に、最近の法改定をお伝えしておきます(日本人会会報274号(2018年11・12月号)にも掲載済み)。 VISITEUR滞在の要点は、                             
①「この地フランスでは現地収入を伴う職業活動には従事しません」。             
②「自己財源で生活します」。この2点です。                     
それでは「自己財源」(SES SEULES RESSOURCES)は具体的にいくらであればよいのか、です。パリPREFECTURE DE POLICEの場合は「少なくとも年間SMIC相当」が相場になっています。この「自己財源」(SES SEULES RESSOURCES)のミニマム数字が つい最近(2018年9月10日付法で)明瞭に定義されました。 「少なくとも年間SMICのNET数字(au moins égal au salaire minimum de croissannce net annuel)」です。なお、この規定は2019年3月1日より実施とされています。

現行(2018年1月~12月)のSMIC(法定ミニマム賃金)は以下のようです。
                  BRUT(額面 )            NET(手取り)      単位ユーロ
時間給                 9.88                7.83
月額(週35h)           1498.47            1184.93
年額                 17981.60          14219.13

以上は「少なくとも(AU MOINS)」というミニマム数字であることを確認しておきます。
余裕のある数字が安全であることは言を俟ちません。 
さて、本題です。                                 
(1)パリ在住でVISITEUR滞在、つまりはパリのPREFECTURE DE POLICEでのVISITEUR滞在者のCDR申請がどう審査、判定されているかです(他県のPREFECTUREの場合は分かりません)。
単身滞在者の場合はかなり高い確率で「不可」とされています。フランスの所得税は、世帯単位の申告、家族指数が大きく影響します。従って、単身滞在者(家族指数「1」)が 所得税が一番発生しやすい仕組みになっています。その単身滞在者が「納税額ゼロとはケシカラン」になるのでしょう。夫婦ともがVISITEUR滞在で所得税はゼロ行進でしたが居住物件を購入したことでパスした例があります。居住物件の購入が長期滞在許可証(CDR)の正当な理由として認められたのでしょう。

(2)VISITEUR単身滞在者の最近例です。過去3年分のAVIS D’IMPOT、当年度については時期が折り合わないので「前年度と同様、こういう数字を申告予定です」の一筆を添えて、4年分でパスした例はあります。ただし、この例では当人のVISITEUR滞在が既に10年を越えていたのでANCIENNETE(滞在実績を評価)ということでしょう。         
また、所得申告は過去3年は遡れるので「遅滞申告」でツジツマを合わせたケースも相当数 あります。

(3)ASSURANCE MALADIE (DE SECURITE SOCIAL)ですね。VISITEUR滞在者が加入対象となるのは、正確にはCMU―B (COUVERTURE MALAFIE UNIVERSELLE―BASE)、2016年まで)、現在はPUMA(PROTECTION UNIVERSELLE MALADIEに名称が変わっていますが、内容はほぼ同じです)しかありません。複雑かつ微妙な領域の問題ですので当ブログでは説明しきれません。相談室をご利用ください。ここでは、VISITEUR滞在5年(以上)でCDRを取得した最近例での紹介にとどめます。

①単身滞在Aさんの場合。                                    CMU-B(現PUMA)と民間保険の双方に加入している状態でした。CMU-B(現PUMA)は保険料が無料になるワクではなく支払い証明を持参。ただし、現在はCMU-BからPUMAへの移行期にあるので保険料の請求がない調整期間中であることを説明。これで無事にパスしましたの報告です。

②単身滞在Bさんの場合。                              
渡仏当初は日本の海外旅行傷害保険、その後は現地民間保険に加入してVISITEUR滞在許可証を更新してきました。CDR申請を控えてCMU-B(現PUMA)への加入手続を開始したのですが途中で放棄しました。「パリPREFECTUREではVISITEUR滞在者のCMU―B(現PUMA)加入は「トラブる」の声が聞こえてきたためです。途中放棄とはASSURANCE MALADIE当局から「コレコレの書類を2週間以内に送付せよ」の追加書類の請求に応じなかったということです。CDR申請の際には民間健康保険の証明を提出し、「CMU―B(現PUMA)登録手続は途中放棄した」旨を伝えたところ「まあ、いいでしょう」とされてパス。
こんな報告です。

定期滞在相談室
毎月第二木曜日、第四火曜日 要予約 01 4723 3358

2018年12月21日  相談室  岡本宏嗣

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第18回)  私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第18章)

「フランス/パリ滞在質問箱」に時折り割り込んで掲載(第18回) 
私書函版「フランス/パリ・子育て雑記」(第18章)

プレパ(PREPA)からグランゼコール(GRANDES ECOLES)入試へ(1) 

カルロス・ゴーン(CARLOS・ GHOSN)さんを「事件の渦中にある主人公」としてではなく「フランス/パリ・子育て雑記」の目で見てみましょう。丁度、プレパ(PREPA),
グランゼコール(GRANDES ECOLES)に触れている折りでもあります。

ゴーンさんは1970年、16歳でレバノンから単身でパリにやって来ました。
自伝ともいうべき「ルネッサンスー再生への挑戦」(2001年ダイヤモンド社刊)によれば、HECを出た伯父さんだか叔父さんがフランスで事業をしている、とうことでした。   レバノン内戦(1975-1990)が本格化する前夜です。STANISLAS(スタニスラス・パリ6区)という学校に入学しています。    
スタニスラスは1804年創立、MATERNELLE(幼稚園)、PRIMAIRE(小学校・5年制)、COLLEGE(中学校・4年制)、LYCEE(高校・3年制)、PREPA(プレパ・2年制)までを擁する私立カトリック系の一大名門学園です。              僕が勤務していた在仏日本人会が「実用フランス語技能検定試験」、通称「仏検」の「パリ試験会場」を引き受けていた時期がありました。その試験会場としてパリ6区のスタニスラス校の教室を拝借したことが2~3回あります。もちろん授業のない日曜日にです。会場使用後、日を置かずに送付されてきた賃貸料請求書は賃貸料の高さもさることながら、同封されている文面に伝統校の威勢がにじみ出ていたように記憶しています。さすが名門校、気位が高いな、です。(注1)

(注1)2004年、次男坊がグランゼコールの入学試験を受けた際の報告です。後章で触れることになりましょうが、グランゼコールの試験はCONCOURS COMMUNS(学校グループごとの共通試験)方式です。10~20校が一つのグループ(通称BANQUEバンク)になっていてグループ共通試験が行われます。その成績順に進学先の選択権があります。
試験会場はVINCENNES(ヴァンセンヌ)のPARC FLORAL DE PARIS(パリ花公園)内にあるHALLE DE LA PINEDE(ピネッド・ホール(9750~10200m2)でした。こんなエピソードの報告がありました。
初日、朝8時から数学の試験(4時間)です。試験開始10分ほど前、試験事務局のマダムが
数千人の受験生に向かって「こんなメッセージが届いています」とFAXを読み上げました。「STAN諸君!」 会場内のそこかしこいるSTANプレパ生数百人が「Oh(オ-)」と応じます。以下はユーモラスな激励文になり、最後は爆笑で終わり。STANはSTANISLASプレパ生の呼称です。
VERSAILLES(ヴェルサイユ)には全国トップクラスのLYCEE SANTE GENEVIEVE
(サント・ジュヌヴィエヴ)があります。私立、全寮制のプレパ専門校です。
GINETTE(ジネット)の呼称があり、ここも「GINETTEの諸君に告ぐ!」のメッセージが読み上げられたということでした。

ゴーンさんはスタニスラス校生でBACをパスしていることになります。「16歳からフランスでの学業開始でよくBACが取れたなあー」ですが、理由のあることでした。レバノンはベイルートのCollège Notre-Dame de Jamhourで小、中学生を過ごしているのです。この学校はフランス系で「フランス国外のフランス教育機関」としての認定校です。(注2)

(注2)AEFE(AGENCE POUR L‘ENSEGNEMENT FRANCAIS A ETRANGER/海外
フランス教育庁)による認定です。ほぼ毎年、認定校リストがJ.O(JOURNAL OFFICIEL(官報)に掲載されます。最近では、2018年6月1日付
Arrêté du 11 juin 2018 fixant la liste des écoles et des établissements d'enseignement français à l'étranger homologués.に認定校リストが掲載されています。
このリストを見ますと、日本は東京、京都の「国際フランス学園」(LYCEE FRANÇAIS INTERNATIONAL DE TOKYO(KYOTO)2校です。レバノンには実に44校もあり、旧宗主国として幅を利かせています。ちなみに米国は47校、中国は8校。

BAC取得後、STANISLASのプレパではなく公立のLYCEE ST LOUIS(サン・ルイ、パリ6区)のプレパに進んでいます。ここは、高校(3年制)部門はなく、プレパ(2年制)部門のみを設置しているLYCEEで、全国プレパの中でトップレヴェルにあります。
ゴーンさんはサン・ルイのプレパ生として1974年にポリテクに合格しています。
                **
WIKIPEDIA日本語版で「カルロス・ゴーン」を見ますと、最終学歴が「パリ国立高等鉱業学校」になっています。「パリ国立高等鉱業学校」という校名は平板な印象を与えますが、1783年創立の伝統校、超難関校のECOLE D’INGENIEUR(技術系グランゼコール)です。
正式名は、ECOLE NATIONALE SUPERIEUR DES MINES DE PARIS(略称、MINES PARIS/ミンヌ・パリ)です
そして、MINES PARISとは別にCORPS DE MINES(コール・ド・ミンヌ、鉱業技師団)という集団があり、まぎらわしいのです。
ポリテクでの席順がトップ10数名が工業省(MINISTERE DE L’INDUSTRIE)のFONCTIONNAIRE(国家公務員)としてパリ6区のMINES PARIS 校舎内で研修を受けます。これも3年制です。ポリテク卒業生の他にMINES PARIS (ミンヌ・パリ)、NORMAL SUP(ノルマル・スップ)をトップクラスで卒業した10数名も同集団の構成員です。超々エリート集団といえましょう。
こういう事情なので、ポリテクを出たゴーンさんの最終学歴もCORPS DE MINES(コール・ド・ミンヌ、鉱業技師団)ではないか、最終学歴がMINES PARIS(ミンヌ・パリ)は間違いではないか、と思ったのでした。 (注2)(注3)
ゴーンさんは1978年にはミシュラン・タイヤに入社しています。
1974年9月  ポリテク(3年制)合格・入学
1977年6月  同校卒業
CORPS DE MINES(コール・ド・ミンヌ)は3年制のハズですから、1978年にミシュラン・タイヤに就職では年勘定が合いません。
1977年9月―1978年6月 MINES PARIS
1978年9月 ミシュラン・タイヤ就職 
MINES PARIS校には1年間しか在籍していない年勘定になります。

この疑問は「CARLOS GHOSN CITOYENT DU MONDE」(GRASSET刊2003年)という本の中で解けました。カルロスさん自身が説明しています。
「当時は二つの方法がありました。一つは公務員になってCORPS DE MINES(コール・ド・ミンヌ)に入団する方法。これは3年間拘束されて、3年修了後、8年間は省庁に勤めなくてはなりません。もう一つは、そうした拘束はなく自由に学ぶ方法です。私は省庁官僚になる気がなかったので後者を選んだのでした」

(注2)八幡和郎著「フランス式エリート育成法―ENA留学記-」(中公新書 1984年刊)にこんな記述が見えます。
「鉱山技師団に採用された者は、三年間パリ鉱山学校で研修を受ける。ただし、パリ鉱山学校の一般学生と共同の研修はほとんどなく、単に間借りしているだけに近いといえる(このパリ鉱山学校と鉱山技師団の関係はしばしば誤解されている)。

(注3)CORPS DE MINES(コール・ド・ミンヌ/鉱業技師団)に次ぐのはCORPS DE PONTS ET CHAUSSES(コール・ド・ポン・エ・ショセ/土木技師団)でしたが、2009年に改組され、CORPS DES INGENIEURS DES PONTS, DES  EAUX ET DES FORETS(コール・デ・アンジェニユール・デ・ポン、デ・ゾ・エ・デ・フォレ/
土木・水・森林技師団)となっています。母体となっているのは、ECOLE NATIONALE DES PONTS ET CHAUSSEES(略称 PONTS CHAUSSES/ポンショセ)です。1747年の創立。前出のミンヌ・パリ(1783年)、ポリテク(1794年)、
ノルマル・スップ(1794年)より古参の超名門ECOLE D’INGENIEUR(技術系グランゼコール)です。
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ゴーンさんがコストカッターといわれながら日産自動車を再建して快進撃中のスターだった2000年代初頭、パリ商工会議所本部(27, AVENUE DE FRIEDLAND パリ8区)でゴーンさんの講演会がありました。国際ビジネス戦争に圧勝した凱旋将軍の戦勝報告会、といった趣きでした。TV局のカメラも派手に回っていました。来場者は商業系グランゼコール御三家といわれるHEC、ESSEC、ESCP(EUROPE)の学生が多かったように記憶しています。誰もが凱旋将軍に尊崇の熱い視線を送っているように見えました。(注4)
どういうイキサツでこの講演会に足を運んだかは忘れました。家内と一緒に出かけたのでした。定刻より早く着いたので、最寄りのカフェでコーヒーを立ち飲みして時間ツブシをしました。そろそろいい時間だろうと勘定を済ませてカフェの外へ出ると、一足先に出た家内が拙宅近所の肉屋店主とおぼしきオヤジさんと立ち話をしています。一、二歩、身を引いた位置で二人の立ち話を聞いていたところ、
「ニホンノドコカラキマシタカ?」
「九州です。大分県です」
「キュウシュウ! シッテイマス、イッタコトアリマス。カンダニコウジョウガアリマス」
こんなカタコトの日本語会話をして、にこやかに立ち去っていきました。その後ろ姿を見つつ、
僕「アレツ!あの人、肉屋さんじゃないよ」
家内「ゴーンさんよ。日本人の観光客と見て声をかけてきたのよ」

以下は、九州大分県中津市出身の家内の案内です。中津は福沢諭吉の生誕の地で中津駅前センターには諭吉の銅像がそびえ立っています。
「カンダ」は神田神保町の神田ではなく、福岡県の京都郡苅田町。京都郡は「みやこぐん」と読み、「カンダ」は「苅田」と書く。九州日産自動車の工場がある。日豊線苅田駅から大分県の中津駅までは数駅、20分見当。

そのゴーンさんが背広姿で会議所ホールに登壇したのは、その10分後でした。
講演内容はほとんど憶えていません。フランス人向けの講演会なので日本語通訳はありません。一点だけ憶えています。日本語にすればこういった内容でした。
日本人は(といっても日産社員のことでしょうが)物事を決めるのにえらく時間がかかる。しかし、いったん物事が決まると猛スピードで走り出す。チームワークもよい、それは見事な人たちだ」
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ゴーンさんはレバノン国籍、ブラジル国籍そしてフランス国籍を持っています。
両親がレバノン人ですからレバノン国籍は当然でしょう。また、祖父の代からブラジル移民でゴーンさん自身もブラジル出生ですからブラジル国籍を持っていることもうなずけます。ところで、フランス国籍はいつ取ったのでしょう。               18歳になったプレパSAINT LOUIS(サン・ルイ)の時点でしょうか。ポリテクに合格した1974年でしょうか。どちらでもよいようなものですが、ちょっと関心があります。
両親ともが日本人のPOLYTECHNICIENポリテクニシャンをこれまでに二人知っています。一人Aさんは日本出生、5歳で両親に連れられて渡仏しています。ポリテクに合格してからあわててフランス国籍を緊急申請して取得したと聞きました。もう一人のBさんは、フランス国籍の取得はせず日本国籍を通したということでした。ポリテクの1年目は将校・準少尉(OFFICIER・ASPIRANT)としての兵役(SERVICE MILITAIRE)訓練が大半を占めるそうで、外国籍(=日本国籍)のBさんは、ほとんど何もすることがなかったといいます。また、外国人学生であることから、学費(FRAIS SCOLAIRE)もたいそうな額で銀行からお金を借りたそうです。ポリテクニシャンなのでホイホイ貸してくれたそうですが。ゴーンさんがいつフランス国籍を取得したかに多少の関心を持つのはこうした事情があるためです。
いずれにしてもゴーンさんは「国籍は多いほど便利だ」という考え方の持ち主ではないかと推測します。この推測を逞しく推し進めれば、ゴーンさんは日産自動車の会長になって経営改革が成功した時点で「日本国籍」についても脳裏をかすめたのではないでしょうか。側近に「日本国籍」取得の事情を調べさせたのではないでしょうか。少々性急な見方かも知れませんが。
ゴーンさんがルノー・日産・三菱自動車連合の会長職を辞した後、その身の振り方をどう考えていたか。目指すはブラジル大統領ではなかったか。フランスは論外、レバノンは国情が複雑に過ぎる、残るのはブラジルです。ブラジル移民の3世、6歳までブラジルで育っています。1980年代にはミシュラン・タイヤ南米支社長としてブラジルに戻ってもいます。現在、総額約50億円とかの報酬トラブル、それも退任後に受け取り予定といったことが取り沙汰されていますが、それを選挙資金と見立てることに無理がありましょうか。あまりにも穿ち過ぎな推測でしょうか。

2018年12月21日   岡本宏嗣  記 

アパート探しについて質問させて頂きます

質問。
パリでのアパート探しについて来春からパリに長期滞在(1年ぐらい)を計画しています。その際のアパート探しについて質問させて頂きます。
パリには何回か行ったことがあって、現地の日本人の人に聞いたところ、日本語掲示板や日本人スタッフがいる不動産業者を使って探す人が多いということでした。
ネット検索で、ロジス、ユーロステートの業者及びMixBという掲示板サイトを見つけましたが、以前、日本語掲示板に載っていた貸室広告に問い合わせたところ、明らかに詐欺と思われる返答が返ってきたことが2度ほどありました。
ロジスは、実在し信用できるようですが、現地の日本人の人達は実際どのような方法でアパート探しをしているのでしょうか?日本人の間で、評判のよい不動産業者などご存知でしたら教えてください。

お答え・見立て。
まず、{現地の日本人の人達は実際どのような方法でアパート探しをしているのでしょうか?}
口コミ、ネット情報、現地日本語ミニコミ紙・誌上の掲載情報、同紙・誌にPRを掲載している日系不動産屋さん経由など、ではないでしょうか。
口コミ例:Aさんが帰国予定、家主のXさんが「後継入居者はいないだろうか」とAさんに相談し、Aさん周辺に情報が流れて後継入居者が出てくる。

次いでの質問。 「日本人の間で、評判のよい不動産業者」については、お答えする立場にありません。


2018年12月15日  相談室  岡本宏嗣

2018年11月26日のブログの質問者です。.途中報告いたします。

2018年11月26日のブログの質問者です。 ご報告と見立て、ありがとうございます。 結局、VPF申請は来年3月までrdvがとれず、ちょうどRF sur placeの審査時期と被りそうです。 滞在許可証の期限切れでの滞在については、たまにrdvの空き(キャンセル)がでるので、見つけたら取り直してできるだけ早く申請するように、と言われただけでした。(帰れとも残ってよしとも言われず) この(CESEDA L313-11-)7°項が適用される事を願います。ありがとうございました。

途中報告、ありがとうございます。ところで、質問者Aさんは2018年11月26日付ブログの質問文に「この7月に出産」をされたとあります。赤ちゃんを抱いてPREFECTUREに出頭しましたか。赤ちゃんを抱いているとPREFECTURE職員とりわけオバサン職員(失礼!)の対応が寛大になるのではないでしょうか。経験的に得た感触ですが。
「RF sur place」であれ「VPFの申請」であれ、最終的に結果オーライになることを祈念しています。
そして、引き続きの報告をお願いしますね。

以下は補足です。
ここでは「RF sur place」(①)と「VPFの申請」(②)の二重申請の流れにあるようです。但し、①は申請済みですが、②はRDVが取れていないとありますので、現時点では②の申請は成立していません。二重申請にはなっていません。                ところで、二重申請となった場合、その後の「流れ」に混乱、トラブルはないのか、です。 
このケースではないと推測します。                

同じく上記日付けブログの質問文面に「おそらくofii もRF sur placeを却下するだろう"との事で、次にprefecture窓口で提案されたのは"vie privée et familialeの申請(première demandeとして)"でした」とあります。ここにある「おそらくofii もRF sur placeを却下するだろう"」には「?」ですね。OFIIはRF申請であれRF sur place申請であれ許可・却下権限を持っていません。PREFECTUREへ調査報告するのがその仕事です。具体的には、OFIIはRF申請者の住居に調査員を派遣し、住居空間が規定の面積をクリアーしているかどうか、キッチンやトイレ・浴室などの衛生(SANITAIRE)状態のチェック、収入数字、SECU有効のチェックなどしてPREFECTUREに報告します。これを受けてPREFECTUREは申請者の過去の滞在許可証発給の記録チェックおよび居住市のMAIRIE(市庁)に人物調査を依頼します。といって、尾行が付いて、、、という大げさなものではなく(テロ容疑者にリスト・アップされていれば別ですが)、暴力沙汰を起こしてパプー、パプーの市警察(POLICE MUNICIPALE)のヤッカイになった記録がないか、といった程度でしょう。PREFECTUREが調査依頼してから2か月以内にMAIRIEからウン・スンない場合は「フランス共和国市民として日々の生活態度に良識を保った人物」の評価になります。つまり、RF(RF SUR PLACE含む)申請の許・却下権はPREFECTUREにあるということです。
従って、仮に二重申請になっても最終的にはPREFECTUREの判定になりましょう。


2018年12月8日(土) 相談室  岡本宏嗣
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